八丈高校では、事務長が歓迎してくれた。へき地を希望する先生はなかなかおらず、新卒の教員が赴任しては去り、例年同じことの繰り返しで発展がないのだという。当時栗原先生は1歳半の子を抱えていたが、タイミング良く保育園に2歳児クラスが作られたことも背中を押した。
島の高校には大学進学を希望する生徒もいれば、卒業後は親の後を継いで漁師になる生徒もいる。求められる授業のレベルには開きがあった。難関大学を目指す生徒のなかには中学生のうちから島を離れて高校に進学する生徒もいた。八丈高校の数学科では、生徒のレベルに合わせて、習熟度別に4クラスに分けて授業を行うことになった。
「当時、島から大学へ進学する生徒は、経済的な事情から国立大を希望する生徒が多かった。国立大となると、求められる数学の力は学校の授業では足りません。島に予備校がなかったので、授業とは別に、高校2年生から自宅で受験のための勉強を教えました。寺子屋みたいな感じでしたね」
公務員は仕事以外でお金を受け取ることが禁じられているので、指導は無料。そのかわりというか、生徒たちはたまに、いきのいいカツオや採れたての野菜を持って勉強に来た。
夏休み近くになると、進学を希望する生徒から「東京へ帰るの?」と尋ねられた。「子どもがいるし、せっかく周りが海なのに、東京に帰るのはもったいない」と答えると、受験対策の夏期講習を開いてほしいという。そこで、冷房が利いている勤労福祉会館で本格的な受験講座を開くことになった。聞きつけた理科と英語の先生も一緒に講師を引き受けてくれた。
「数学と英語、理科がそろえば、国立、私立の大学入試対策ができます。生徒一人ひとりの志望校に応じて、この大学ならこの教科を強化すればいけると、作戦を立てて指導しました」
そのころ指導した生徒たちのなかには東京工業大学、筑波大学、東京学芸大学、東京理科大学、北里大学など、希望する国立大学や私立大学へ進学を果たしている。
「獣医学を学んだ生徒は、今は島に戻って獣医をしているそうです。薬学部に進んだ生徒は新薬の開発に携わったりした。教員になった者、看護師になった者……、みな自慢の教え子たちです」
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