儀式というのは、大切なものです。なぜなら人の一生の転換点だからです。「冠婚葬祭」と一口に言っても、人は誕生から死に至るまでにいくつもの節目を迎えます。それは別の言い方をすれば、新たな人生のターニングポイントです。身も心も心地よくスタートを切ることができれば、次の節目までうまく走れる可能性は高くなります。「がんばって!」という周りの声援も大切です。心を込めて贈られる声援ほど、走り出す人のハートを熱くしてくれるものはありません。

 2500年前の思想家・孔子と弟子の言行録である『論語』には、人としての身と心の正し方が記されています。

「子貢、告朔(こくさく)のき羊(よう)を去らんと欲す。子曰(い)わく、賜(し)や、爾(なんじ)はその羊を愛す。我れは其の礼を愛す」(八イツ第三)

 弟子の子貢が「毎月1日に行われる祭事で、先祖の廟に羊をお供えする儀式だけが残っているが、無駄だからやめよう」と提案したとき、孔子はこう答えました。

「子貢よ、お前は羊を惜しむだろうが、私は無駄を省いて伝統が失われることを惜しむ」

 孔子は無駄を省いていくことで、次第に人々が先祖のおかげで朔日(月の始まる1日のこと)を迎えられることへの感謝の気持ちを持たなくなることを残念に思ったのです。

 季節的な儀式、イベントの中には「無意味なものが多い」と感じることは少なくありません。とくにこのコロナ禍ではそうかもしれませんね。でも「無駄」ばかりを省いていくと「心をともにして、次の節目までみんなでがんばろう」という意識も薄れて、次第に互いを思いやる空気もなくなってしまうのではないでしょうか。

 父親である相談者さんは、心から息子さんの門出をお祝いする気持ちを持つべきです。ここに、相手の側に立って考えるための心得を『論語』から紹介します。

「子、  四(し)を絶つ。意(い)毋(な)く、必(ひつ)毋く、固に毋く、我が毋し」(子罕第九)

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