また、きょうだいげんかは、家庭である意味安心して「自分を出し切る」ことができるけんかです。たまには、こんな形で発散しあうのも僕はありかと思うのです。保育や学校の現場でも見かけますが、自分を出し切れずにいる子どもは、どこかしんどそうです。

きょうだいげんかから、不条理や不合理も経験する

――ぶたれたら痛いとか、こんなことを言われるとどれくらい嫌な気持ちになるか、そういうことを学ぶのですね。

 そうです。さらに、たとえ兄が悪くても、からだが小さいゆえに弟が負けてしまう。こんなふうに世の中の「不条理」を学ぶこともあるでしょう。

 このとき、兄は力で弟をねじ伏せています。でも、もしここで親が介入して弟を救うとどうなるでしょうか。今度は兄が「不条理」を実感することができるのです。

 僕は、子育てというのはこの世に起きているすべてのことを教えるものだと思っています。社会では不条理や不合理なこともたくさんあるもの。きょうだいげんかを通して、小さな社会を学ぶことができるのです。

―――どのタイミングで介入すればいいのか悩みます。

 つねに介入することは、僕は賛同しかねるのですが……。基本的に放っておいていいと思うのです。というのも、ふたりで「解決できる方法」を学ぶことも必要です。けんかをしても、自分たちだけで仲直りできる。そうすることで、けんかのやり方がだんだん洗練されていくものですから。

 どこで仲裁に入るかは、基本的にけんかの「程度」の問題です。けがにつながっては大変なので、そうなったら当然、介入しなくてはいけません。でも、この「程度」を学ぶには、いろいろなことを経験しないとわかりませんよね。

 ちなみに、わが家は男3人きょうだいです。もうすっかり大人ですが、子どものころはそれはそれはしょっちゅうけんかが勃発していました。そこで親が介入するのは「これ以上やると大きなけがになる」といった危ない場合。身体的に「だめ!」なときです。そして、人の尊厳を傷つけるようなことを言ったり、やったりしたときも即、介入していました。たとえば、兄がコツコツ作り上げた大切なプラモデルを壊すなど、「それは人としてどうなの?」という場合です。わが家は、このふたつを介入のルールに定めていました。

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