70年代半ば、宇都宮高校の「進学資料」に理三合格者に記録が残っている。「一年から群を抜いた実力を発揮し、校外模試においても全国の中で常に最上位にあった。一年時から毎日五時間の勉強を確保し、(略)休み中は各教科あわせて十二時間の勉強をした」(『宇都宮高校百年誌』、79年)。87年、大学入試センターは、「共通一次試験のトップは地方の現役の女子高生で792点(800点満点)」と発表した。該当者が1人いた。富山県立富山中部高校の女子生徒Yさんである。彼女は東大理三、京大医学部に合格した(当時はダブル受験が可能)。

 02年、山形東から理三合格のKさんは浪人生活が長かった。「僕ほどふざけた人間もいないでしょう。なんせ、7浪ですから。なかなかできることじゃありません」(『天才たちのメッセージ 東大理III 2002』 エール出版)。

 04 年、土佐塾高校出身のHさんは現役で理三合格したが入学を辞退。後期試験で京大理学部を受けて合格し入学した。Hさんは中学受験で灘、愛光に受かったが土佐塾へ進む。高校2年、3年の時、数学オリンピックに出場。3年で銀賞(上位4分の1)を獲得する。Hさんはこう話す。「申し訳ないんですが記念受験というやつです。(略)これからは存分に数学の研究をやっていくつもりです。理IIIに合格された人たちも頑張って医学の道を進んでください」(『天才たちのメッセージ 東大理III 2004』)。

 08年、盛岡第一から現役で2人が合格した。うち1人、Eさんが語る。「学校がすごく力を入れて指導してくれましたから、ほとんど学校の教材を使って勉強していました」(『天才たちのメッセージ 東大理III 2008』)。東大合格校御用達の鉄緑会もENAもない地方公立高校の理三受験生にとってこれほど勇気づけられることはない。

 理三女子二題。13年、豊島岡学園女子出身のAさんが15年に準ミスユニバースに、18年、岡崎高校から入学したWさんがミス日本準グランプリに選ばれた。2000年代以降、理三の女子比率は文一を凌ぐようになる。

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