ホーキングはペンローズらと共同で、ブラックホールの真ん中にあるはずの密度も時空の曲がり方も無限大となる奇妙な点「特異点」についての研究を進めた。これは後に、名著だが難解といわれる教科書『時空の大規模構造』にまとめられた。

 強い重力で物質はおろか光さえも脱出できない「無限の落とし穴」といわれてきたブラックホールは、外から見ると質量と回転スピード程度しか特徴がない「のっぺらぼう」だと考えられてきた。この常識に反対論を突きつけたのがホーキングだった。ブラックホールが粒子を放出する「ホーキング輻射」の存在と「ブラックホールの蒸発」の予言である。

 70年11月、長女ルーシーが生まれた直後。ホーキングの筋力はだんだん弱り、ベッドに入るのにも多くの時間が必要になった。だがその間にも物理の問題を考え続けるのが習慣だった。

 そのとき、ホーキングは二つのブラックホールが合体してひとつになる現象(2015年に重力波検出で確認された)を考えていた。ブラックホールに物が落ち込むギリギリの面を(見えなくなる地平線になぞらえて)「地平面」と呼ぶ。その表面積は合体後に必ず増えると気がついた。

「減ることのない必ず増える量」と言われて、物理学者なら思いつくのは「乱雑さ」の標識であるエントロピーの量である。水が水蒸気になって空中に四散するときや、物が燃えるときなどの不可逆な現象では、エントロピーは必ず増える。ブラックホールの表面積も増えるので「エントロピーと関係するのではないか」という発想があってもいい。

 最初に気づいたのは、プリンストン大学の大学院生ジェイコブ・ベッケンシュタインだった。そのことを聞いたホーキングは、弱点を攻撃した。「ブラックホールにエントロピーがあれば、有限の温度がある。温度を持った物体は、熱い鉄と同じように光などの輻射を出す。ブラックホールから何か出るなど考えられないからそれは正しくない」。そんな反対論が後に理論を深め、先を走っていたものをホーキングが追い抜く要因となった。

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