



南米大陸で初めて開催された五輪から1年。財政赤字を理由に社会保障は縮小、格差は拡大し治安が悪化している。現地をルポした。
「あのあたりに私たちの家があった。40年続いたコミュニティーがここにあった」
マリア・ダ・ペニャさん(52)がそう指さす先には、閉鎖されたままのオリンピック主会場の駐車場が広がっていた。
コミュニティーの名前はビラアウトドロモ。リオデジャネイロ市内に800カ所以上を数えるファベーラ(スラム)のひとつだ。市内随一の富裕地区であるバハ地区にオリンピック施設が建設されるのに伴って、そのすぐ隣にあった824世帯、2450人の暮らしは強制退去の対象となった。
●重機で潰されたわが家
家屋の撤去は2014年から断続的に始まった。市警備隊による力ずくの排除で住民の多数にけが人が出た。ペニャさんも鼻骨を折られる大けがを負った。多くの住民が賠償金と引き換えに泣く泣く去っていった。
立ち退きを拒否し続けたペニャさん一家の住まいは、オリンピックを5カ月後に控えた昨年3月、重機で押しつぶされた。
「未明に突然始まって、家財道具を運び出す間もなかった」とペニャさんは目を伏せる。
家を破壊された後も教会に立てこもって抵抗し続けた。交渉の末、土地の片隅に市が代替家屋を建てて無償で提供することを約束させた。こうして最後まで残った20家族が今もここに住み続けている。
なぜそんなにがんばれたのですか、という問いにペニャさんは、「皆がここをふるさととして愛し、コミュニティーを築いてきた。たった17日間のイベントのために、なぜ生きることを差し出さなければならないのか。賠償金を積まれようが決して出ていかないという思いだった」と言葉に力をこめた。
コミュニティーがあった場所は半分が駐車場になり、半分はがれきが散らばる更地のままだ。現在は、市が土地を不動産開発業者に払い下げて富裕層向けの分譲マンションが建つ計画が持ち上がっているという。
ほど近くにそびえ立つ選手村の高層ビル群も、高級分譲マンションへの転用を目的に建設された。ロンドンオリンピックで選手村が貧困地域における住宅供給源とされたのとは、大きなへだたりがある。