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“科学大国”日本が失速… その裏で“役立つ”研究の増加

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ごとう・ひでき/1943年、松江市生まれ。神経生理学者、医学博士。現在サイエンスライター。『天才と異才の日本科学史』(ミネルヴァ書房)で2014年第62回日本エッセイスト・クラブ賞受賞(写真:本人提供)

ごとう・ひでき/1943年、松江市生まれ。神経生理学者、医学博士。現在サイエンスライター。『天才と異才の日本科学史』(ミネルヴァ書房)で2014年第62回日本エッセイスト・クラブ賞受賞(写真:本人提供)

 今年もノーベル賞が発表され、その結果が注目されたが、一方で気になるのは日本の研究の今。「天才と異才の日本科学史」の著者であるサイエンスライターの後藤秀機氏に、ノーベル賞や研究を取り巻く日本の現状について聞いた。

──実用的な技術の受賞もあるのですか?

 例えば、体内を輪切りに撮影するCT診断装置は真理発見とは無縁な医療技術ですが、1979年度ノーベル生理学・医学賞に輝きました。

──日本人の受賞も古くからありますね。

 ノーベル賞は1901年に始まりましたが、サムライも庶民も、西洋文明を迎える準備は十分にできていた。実は江戸時代の日本は、庶民の識字率が西洋列強よりもはるかに高かったんです。湯川秀樹は和歌山藩の漢学者の家柄で、朝永振一郎の祖父も大村藩の学者です。サムライたちも、アヘン戦争がきっかけで漢学を捨て、洋学に熱中する合理主義者になったんです。

 例えば福沢諭吉は本来理系で、物理学は武力防衛、そして日本独立の土台にもなる「学問の王者」だと考えました。そこで自分の息子を米マサチューセッツ工科大学に留学させて物理学を勉強させ、後に「日本細菌学の父」と呼ばれる北里柴三郎のために伝染病研究所もつくった。彼こそ、科学大国日本に至る一番の功労者、と言えるかもしれません。


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