怖さの正体は何か。ひとつは、こんなに一企業に依存していいのかな、という怖さです。モノとの出合い方そのものが変わってしまうことへの怖さもあるかもしれません。

 例えば以前は、古本を探すときには古本屋を一軒一軒回っていた。出合うまでに時間とプロセスがあり、それ自体に学びの過程があった。アマゾンでは出合いまでが一直線です。そういったことが我々の精神や文化にどんな影響を及ぼしていくのか。もしかしたら大した影響を及ぼさないのかもしれませんが、それはまだ誰にもわかりません。

 映画の制作者という立場からも同じことが言える。いま、アマゾンやネットフリックスが次々にオリジナル作品を作って配信しています。彼らは、映画館で作品を見せることに価値を見いだしていない。その姿勢は、映画館を愛する人間としては脅威です。一方で、資金難の業界に出資してくれているというプラスの面もある。救世主なんだか破壊者なんだか、わからないんです。

 宅配業者の過酷労働問題については、サービスが丁寧なわりに対価が安すぎるんでしょうね。米国在住者の目から見ると、日本の宅配便はあまりに至れり尽くせり。米国では不在だとドアの外に置いていかれるし、呼び鈴すら押してくれないこともある。でも配送料が安いからみんなあきらめてる(笑)。

 行き届いたサービスを求めるなら、消費者はそれなりの対価を払うべきですよ。

(構成/編集部・高橋有紀)

AERA 2017年7月24日号