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内田樹「政治に無関心な若年層 手作りの梃子が必要だ」

連載「eyes 内田樹」

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内田樹AERA#内田樹

「レバレッジ」に既製品はない(※写真はイメージ)

「レバレッジ」に既製品はない(※写真はイメージ)

 思想家・武道家の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、哲学的視点からアプローチします。

*  *  *
 5年前、神戸市の一隅に自宅兼道場を建てて、地域社会に根を下ろすことになった。地元の市民たちの活動にはできるだけ協力するようにしている。参加してみて痛感するのが市民運動の高齢化である。特に30~40代の層が著しく薄い。仕事でお忙しいのだろうけれど、日本の立憲民主制が瓦解(がかい)しようとしているときに、この世代の人たちは何を考え、何をしているのだろう。

 たぶんそれほど切迫した危機感を覚えていないのではないかと思う。別に彼らが現状に満足しているという意味ではない。そうではなくて、政治と生活がリンクしている実感がないのだと思う。政治が変わることによって自分たちの生活が変わることもないし、生活が変われば政治が変わるとも思っていない。一人の人間のできることには限界がある。その限界に自覚的なのだ。だからもし、個人がその微力を政治過程に反映させたいなら「レバレッジ」が必要だ、たぶんそう考えているのだと思う。アルキメデスが「われに支点を与えよ。されば地球を動かしてみせよう」と豪語した、かの「梃子(てこ)」である。

 この「レバレッジ」信仰(と呼んでよいと思う)は現代日本にかなり広範に根づいた一種のイデオロギーのように思われる。

 自分の力を何倍何十倍にする「魔術的な装置」がどこかにある。それを見いだし、その操作に習熟することが最優先の課題なのだとどこかで教えられたのだ。だから、「できることからコツコツと」というような非効率な生き方にはさっぱり興味がわかない。そんなことをしている暇があったら「レバレッジ」を探したほうがいい。署名を集めたり、街頭に立って道行く人にビラを配ったりするくらいのことで「政治が変わってたまるか」と。そう思っているのかもしれない。

 けれども、「レバレッジ」に既製品はない。誰かがプレゼントしてくれることもない。手元にある、ありあわせの材料を使って手作りするしかないものなのである。「レバレッジ」を探し求める人たちは、「手元にある素材」「自分にも簡単にできること」の含む潜在可能性をいささか過小評価してはいないだろうか。

AERA 2017年6月12日


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内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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