「歴史認識の違い」に着眼する古賀の論考は、沖縄と「本土」の対話の土台を築くのに不可欠な視座であろう。過去を学び、想像力を働かせるのは沖縄と向き合う上で必須の作法だが、それだけの忍耐と余裕が今の「本土」社会には失われているように思われる。

「東京で暮らし始めて10年が過ぎた」という国際基督教大学教授の田仲康博は「この街の風景を見ているとひどく気がめいることがある」(1月5日付沖縄タイムス)という。

「東京の<日常>は、さまざまな矛盾の下で生きることを強いられる周縁部の人びとの<非日常>に支えられているのだが、そのことにまったく無頓着な人びとの群れで街は今日もにぎわっている。沖縄をめぐる問題を考える際には、この圧倒的な<まなざし>の非対称性を見すえる必要がある」

 田仲はこの「傍観者の群れ」が現政権を支え、「通り一遍の報道しかできない中央メディア」またも、<傍観者>の側に属していると指摘し、こう喝破する。

「本土の人びとにとって、沖縄問題が『地域限定』の『沖縄の人びとのみが担うべき問題』として認識されている限り、日米政府の暴力がやむことはないだろう」

 沖縄の中でも国境に接する「周縁部」に置かれた八重山地域。ここでも「基地問題」が最大の焦点に浮上している。陸上自衛隊配備計画をめぐり、昨年末に市長が突如、事実上の配備容認ともとれる表明を行った石垣市は混乱の渦中にある。

 島在住の詩人、八重洋一郎のまなざしは鋭く「中央」を射ぬく。

「今日も辺野古では抗議の声が続いている。尖閣では海上保安庁警備艇と中国公船との対峙。沖縄はその苦悩の故に日本という闇をあぶり出し、辺境はその敏感な恐怖の故に中央の鈍感な自己陶酔者を底の底まで透視する」(『沖縄思想のラディックス』未来社所収「南西諸島防衛構想とは何か」)

 近年は沖縄でも、軍備強化容認派が一定の存在感を示しつつある印象は否めない。だが、留意しておきたいのは賛否両派に共通する切迫感だ。軍事拠点化が進むことで軍事の標的にされることを拒絶する軍備強化反対派と、中国の軍事的台頭への対抗措置によって安心を得たいとする軍備強化容認派の双方に、生活実感に根差した「リアルな安全保障観」が内在している。

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