被災地で「もてなしたい」 “新参者”のジャズ喫茶、タレを育てた鰻屋 #あれから私は (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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被災地で「もてなしたい」 “新参者”のジャズ喫茶、タレを育てた鰻屋 #あれから私は

菊地武顕週刊朝日#東日本大震災
冨山勝敏さん (本人提供)

冨山勝敏さん (本人提供)

阿部紀代子さん (本人提供)

阿部紀代子さん (本人提供)

 今年の3月11日で、東日本大震災から10年となる。あのとき苦しんでいる被災地の住民に、温かい手を差し伸べてくれた人がいる。被災者たちはその恩を忘れず、元気な姿を見せたいと願っている。

【写真】大正2年創業の鰻屋「八幡家」4代目・阿部紀代子さん

*  *  *
 岩手県陸前高田市でジャズ喫茶「h.イマジン」を営んでいた冨山勝敏さんは、地震の揺れが収まった後に高台に上った。

「あるはずの高田松原が消えていた。次第に商店街がのみ込まれ、木造の建物が砕かれるバリバリ、バキンバキンという音が響き、土ぼこりが上がって煙幕のようになったね」

 それを2時間余り凝視、目に焼き付けた。あまりにも強い自然の力に、

「おそれいりました、と開き直ることができた。だから避難所では、市の復興計画図と店の設計図を書いて過ごしたよ」

 冨山さんは福島県郡山市の出身。ホテルマンとして都内で働いた。定年退職後はジャズを聴きながら第二の人生を楽しみたいと、2003年に岩手県大船渡市に移住。「h.イマジン」を開店したが10年に焼失したため、隣接する陸前高田市に新規開業した。それからわずか3カ月で被災した。

 いわば新参者だが、

「お世話になったのに、地震があったから出ていくのはちょっとね。ひとりものだし、ここでもう一度やってやろう、と」

 その決意を知った人々から、数千枚のレコード、プレーヤー、アンプ、スピーカーが送られてきた。

 しかし市の復興計画が進まず、元の土地に再建できるかわからない。そこでいったん、大船渡の知人が経営するブティックの一角を借りて開業。

 その後、車中泊をしてまで支援を続けるボランティアに感動し、彼らのため、店があった場所に簡易宿泊所を設置した。

 紆余曲折を経て、陸前高田に店を再建させたのは、19年10月。

「私も今年で80歳。3月11日は、静かに時が過ぎるのをやりすごそうと思うよ。2時46分に聴く曲? ヘレン・メリルの『帰ってくれたら嬉しいわ』だね」

 宮城県石巻市では、大正2年創業の鰻屋「八幡家」4代目・阿部紀代子さんが奮闘中だ。被災当初は廃業も考えたが、

「ボランティアの人たちが泥まみれになって片づけをしてくれるのを見て、このまま終わらせるわけにはいかない、と。きちんと街を復興させることが、一番の感謝になるんだと思いました」


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