「パレードがきっかけでした」橋田壽賀子と天皇陛下の意外な接点 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「パレードがきっかけでした」橋田壽賀子と天皇陛下の意外な接点

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週刊朝日#皇室
網代湾が見える自宅で取材に応じる橋田さん。「もう、化粧をするのも嫌になっちゃった」と素顔でポーズをとってくれた(撮影/写真部・加藤夏子)

網代湾が見える自宅で取材に応じる橋田さん。「もう、化粧をするのも嫌になっちゃった」と素顔でポーズをとってくれた(撮影/写真部・加藤夏子)

 脚本家の橋田壽賀子さん(91)は、天皇陛下のビデオメッセージを見て「テレビ時代の天皇陛下」と思ったという。テレビの歴史とともに歩んできた人ならではの表現だ。天皇陛下との意外な接点について聞いた。

*  *  *
 昨年秋、文化功労者に選んでいただきました。シナリオライターとしては初めて。テレビの脚本が文化として認められたことがうれしかった。知らせをいただいたときはまさかと戸惑いました。90歳になって天皇、皇后両陛下主催の宮中のお茶会に招かれ、お二人にお目にかかれるなんて思ってもいませんでした。

 お茶会は11月4日の午後開かれました。文化勲章受章者と文化功労者が、東京都港区にあるホテルから皇居・宮殿までバスで向かいました。女優の黒柳徹子さんもご一緒でした。

 お茶会では各テーブルを天皇家の方々が回ってこられます。私たちのところには最初、秋篠宮眞子さまがいらした。スープをいただきながら20分ほどお話などを。やがて、両陛下が見えてご一緒に煮物をいただきました。

 私たちのテーブルは、遠慮されてかあまりしゃべらない。シーンとしていました。私は話題を提供しようと、まだ京城(今のソウル)に住んでいた8歳ぐらいのときに、今上天皇がお生まれになったときの話をさせていただきました。

 男子誕生を祝うサイレンが2度鳴って、私は寒い街を近所の人たちと一緒に提灯(ちょうちん)行列をつくってお祝いしました。昭和天皇のお子さんは女の子が4人続き、国民が望んでいた待望の男の子だったからです。盛大でした。子どもの私にはそれがとってもおもしろかった。お祝いの歌はなんども歌いました。80年以上も前のことなのに、その歌はいまでも覚えています。

♪日の出だ日の出に
鳴つた鳴つたポーオポー
サイレンサイレン
ランランチンゴン
夜明けの鐘まで
天皇陛下お喜び
みんなみんなかしは手
うれしいな母さん
皇太子さまお生れなつた
(北原白秋作詞、中山晋平作曲)

 この歌の一節を恥ずかしながら、私は天皇陛下の前で歌ったのです。陛下は少し照れたようにほほ笑んでおられました。皇后美智子さまは天皇陛下を気遣うように静かに寄り添っていらした。

 私が陛下のお生まれ年を間違えて昭和9年と言ったのを「昭和8年です」と皇后さまは小さな声で訂正されました。骨の髄から夫唱婦随というのでしょうか、日本の最高のご夫婦だと思いました。

 私は1959年のご成婚パレードにも衝撃的な体験をしています。6畳一間(共同トイレつき)のアパートに暮らしていたころのこと。お金もそんなになかったのに、皇太子殿下ご成婚パレードが見たくて奮発してテレビを月賦で買ったのです。そのころは見たいものがあれば、現地に行かなければなりませんでした。映画だって映画館へ足を運ばなければならなかった。


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