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“闘将”星野仙一 実は「いつも自分でプレゼントを選ぶ気配りの人」

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2017年7月、野球殿堂入りした星野仙一さん(C)朝日新聞社

2017年7月、野球殿堂入りした星野仙一さん(C)朝日新聞社

「燃える男」、「闘将」と呼ばれた楽天の星野仙一球団副会長が4日に死去した。70歳だった。現役時代は中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任した。4度ものリーグ優勝を飾り、楽天時代の13年には日本一に輝いた。2017年に野球殿堂入りし、同年11月末に東京で、12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」が開かれた。約2千人ものプロ、アマの球界関係者が一堂に集まる中、「これだけの人が来てくれ、野球をやってて良かった」と挨拶。しかし、この席が最後の晴れ舞台となった。

【写真】穏やかな表情の星野氏

 球界関係者によると、星野氏は当時、がんで闘病中だったという。昨年末には体調が悪化し、年末年始を家族とハワイで過ごす予定だったが取りやめていたという。

 星野氏はかつて週刊朝日のインタビューに健康についてこう語っていた。

「僕たちスポーツ選手のいけないところは、『たいしたことないわ。こんなもん』と、『これだけ鍛えてきたんだから、俺に限ってそんな病気になるはずない』と、過信するところですね。これが大きな落とし穴ですよ。とくに監督をやると、神経はやられますし、内臓も心臓もやられる。だいたい長いこと監督をやられている方はみな、この3カ所のどこかやられてますよね」(2006年7月28日号)

 星野氏はグランドに立てば「燃える男」だったが、外では「気配りの人」だったという。長い付き合いの知人がこういう。

「いつ会っても選手から裏方、チームの番記者のことまで考えていた。それをびっしりメモしているんですね。ある時、星野さんがカタログのようなものを手に考え込んでいた。チームの裏方さんへオフシーズンになったから、プレゼントを贈るんだが、何がいいかと悩んでいるというのです。そんなこと周囲に任せればいいのに、『自分できちんと選ぶ、そうすることで単なるお疲れさんの贈り物ではなく、心が届く』と言っていた。北新地の飲み屋に行っても、カタログを見ていて、ホステスさんとかに『どれがいい』と聞くんですよ。あるとき、確か鞄を裏方さんに贈ったのですが、名前を刺繍して渡したら、もらった裏方さんは大感激ですよ。中日時代でしたかね、裏方さんに失礼な態度をとった若手選手がいたんですね。裏方さんに『ちゃんとやれ』という口のきき方をしたんですよ。普通はコーチに注意させるんですが、星野さんは烈火のごとく怒って、その選手に雷を落としていた」

 悪口を書かれることもある番記者に対しても気配りをしたという。

「担当が変わったりしてもきちんと贈り物をした。そこまでしなくてもというと『記者も仕事だから仕方ないよ。いつかいいことも書いてくれるもんだよ』と言ってましたね」(同前)

 97年には扶沙子夫人(享年51)を白血病で亡くしたが、グラウンドで戦い続けた。

「奥さんを若くして亡くたこともあってですが、女性にはモテました。親しい女性はたくさんいたましたよ。アナウンサーのAさんとの関係を書かれたとき、確かに親しかったんですが、『俺もあんな若い子とウワサになるんだな』と苦笑いしながらも、『あっちに悪いよな、嫁入り前で』とさっそく電話をしていた。歌手のBさんとも書かれたことがありました。確かに、食事にもよく行き、仲は良かったのですが、深い仲という関係ではなかった。『書かれるたびに、メシに誘える子が減ってゆくよ、なんとかならんかな』とぼやいていましたね」(球団関係者)

 中日で2度のリーグ優勝。02年に低迷していた阪神の指揮を執り、翌03年に18年ぶりのリーグ優勝に導く。楽天監督時代の13年には日本シリーズで宿敵の巨人を破り、4度目の挑戦で初めて日本一監督となった。現役時代は「燃える男」と呼ばれ、中日のエースとして闘争心をむき出しにして投げた。巨人戦は歴代6位タイの35勝で通算146勝を挙げた。沢村賞を受賞した74年にはV10を阻止して優勝するなど巨人打倒に執念を燃やした。

◆星野仙一(ほしの・せんいち)/1947年1月、岡山県生まれ。現役時代は180センチ、80キロ、右投げ右打ち。倉敷商から明大を経て68年ドラフト1位で中日入団。82年引退まで通算500試合に登板し146勝121敗34セーブ、防御率3.60。巨人から35勝を挙げた。74年最多セーブ、沢村賞。87年に中日監督に就任。中日で88、99年、阪神で03年に優勝。史上初めてセ2球団を優勝へ導いた。04年に阪神シニアディレクター就任。08年北京五輪で日本代表監督(4位)。11~14年は楽天監督。13年に球団初の日本一。監督通算1181勝は歴代10位。03、13年正力賞。現楽天球団副会長を務めていた。17年野球殿堂入り。

(AERA dot.編集部)


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