舞台「放浪記」の千二百回目の公演を終えた森光子さん=1994年 (c)朝日新聞社
舞台「放浪記」の千二百回目の公演を終えた森光子さん=1994年 (c)朝日新聞社

 文芸評論家の斎藤美奈子氏が数多の本から「名言」、時には「奇言」を紹介する。今回は、川良浩和著の『森光子 百歳の放浪記』(中公新書ラクレ、900円)に書かれた、ゆかりの人の言葉を取り上げる。

「難民キャンプでの体験談も良く聞いてくれました」

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 森光子が92歳で逝って早7年。存命なら、この5月で100歳を迎えるはずだった。川良浩和『森光子 百歳の放浪記』は森の生誕100年を記念し、『放浪記』を中心に、その生涯を関係者の証言をまじえてたどった本である。

 代表作となった舞台『放浪記』の初演は1961年。ちょっと驚いたのは、このとき彼女がすでに41歳で、しかも『放浪記』が初の主演作だったことである。

 菊田一夫に<君は越路吹雪のようにグラマーでもなければ、宮城まり子のような個性もない。一生脇で行くんだな>といわれたのが40歳のとき。<あいつよりうまいはずだがなぜ売れぬ>なんて川柳(!)を詠みつつ、本人もずっと脇役でいいと思っていた。

 それが翌年、同じ菊田一夫が書き下ろした『放浪記』で林芙美子役に抜擢されるや驚異的な人気演目となり、『放浪記』は2009年まで2017回にわたって上演され続け、森自身も「大女優」の名声をほしいままにするのだから、人生はわからないものよねえ。

 スターになった後の森光子は多才だった。フジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者、往年の人気ドラマ『時間ですよ』のおかみさん役、あとは「ひと味ちがうタケヤみそ」のCM。

 彼女の前半生はしかし苦労続きである。<13歳で両親を亡くし、14歳で映画デビュー、戦火の中で兵隊を慰める歌を歌いながら病を得て、戦後の混乱期は米軍キャンプを回ってジャズを歌った。いよいよエンタテイメントに打って出ようと思った時、結核を病み、数年後放送局を訪ねると幽霊扱いされる。ラジオやテレビの脇役でその魅力を放ち始めた時にはすでに30代を迎えてい>た。

『放浪記』は昭和初期の貧しい時代を描いている。高度成長期もバブル期も、そして格差社会の時代にもそれは上演されてきた。<新しいことに興味が尽きない人、難民キャンプでの体験談も良く聞いてくれました>とは黒柳徹子の証言。『放浪記』の人気の理由は、森光子自身の人生とも重なる点があったせいかもしれない。

週刊朝日  2020年5月8-15日号