東京オリンピックのマラソンと競歩の開催地が札幌に変更された。だからいわんこっちゃない、と思った人も少なくないだろう。
谷口源太郎『オリンピックの終わりの始まり』は理念が形骸化した五輪に根本的な疑問を呈した本である。西側が参加をボイコットしたモスクワ大会(1980年)、サマランチ会長の下で商業主義に舵を切ったロサンゼルス五輪(84年)なども興味深いが、気になるのは来年の東京五輪。<「二〇二〇東京オリンピック」を口実に、経済・政治・文化など社会のあらゆる分野で、「国家ファースト」「マネーファースト」の企てが有無を言わせぬ形で進められている>。これが著者の認識である。
こうした体制を支える元凶として本書があげるのは森喜朗元首相(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長)の存在だ。2005年に日本体育協会(現日本スポーツ協会)の会長に就任した森は、人事配置の私物化などを通じてスポーツ界の独裁体制を築き、国威発揚と経済的利益誘導を目的としたスポーツへの国家介入を進めてきた。法的な後ろ盾もできた。五輪の開催主体は都市である。だが11年に成立したスポーツ基本法は前文で<スポーツ立国の実現を目指し、国家戦略として、スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する>と規定し、国家主導を正当化している!
加えてJOCやIOCの弱体化。イスラム圏初を目指したイスタンブールを退けて開催地が<東京に決まったのは、IOCの堕落を示している>と著者はいう。ろくな現地調査もせず、反対派の意見も聞かず、要はカネに転んだのだと。
<個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない>という五輪憲章の文言はとっくに風前の灯火だ。事故後の原発は「コントロールされている」(安倍首相)、8月の東京は「温暖」で「理想的な気候」(当時の猪瀬東京都知事)など、そもそもウソで固めた招致活動からはじまった東京五輪。いっそもう開催権を返上してほしいです。
※週刊朝日 2019年11月22日号