英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。
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「プリズン・サークル」の坂上香監督との対談イベントにオンラインで登壇した。同作は、初めて日本の刑務所にカメラを入れたドキュメンタリー映画で、「回復共同体」と呼ばれる日本では珍しい更生プログラムの参加者を追ったものだ。坂上さんは『根っからの悪人っているの? 被害と加害のあいだ』という新刊を上梓したばかりだ。
「被害と加害のあいだ」というサブタイトルは、世界情勢を考えてもタイムリーな言葉だ。加害者が被害者となり、被害者が加害者となる。どちらが加害者でどちらが被害者なのかをめぐり、傍観者たちも対立する。英国のユダヤ教の学校の生徒たちが制服を着用せずに登校するよう指示される一方で、近所の中学ではムスリムの生徒が「テロリスト」と呼ばれている。英国で生まれ育った子どもたちまで加害者のレッテルを貼られ、いじめや差別の被害者になる。
被害と加害のあいだにあるものとは何だろう? それは少なくとも、60%は被害を受け、40%は加害をしているから、やや被害者、というような「中間領域」の話ではないだろう。
対談では、被害者と加害者が話をするなどの新しいアプローチ、「修復的司法」の話も出た。従来の司法制度では、犯罪を「国家に対する違法行為」と捉えて加害者を罰する。だが、それは犯罪の根本的解決や深い反省にはつながらず、かえって逆効果になることもあるという。
日本の刑務所では、他の受刑者と話すことが禁じられ、作業中は顔を上げてはならないなどの厳しい規則があるそうだ。徹底的に自己を潰すのである。潰して新しいものに作り変える「矯正」法だろうが、人はPCじゃないので初期化して人間性を再インストールすることはできない。他方、「回復共同体」は、むしろ自己と向き合い、その加害を理解するために他者と語り合い、助け合う更生法だ。自己を刷新し、成長しながら変わる。その過程で自らが虐待の被害者だったことを思い出す人も多い。
人は加害と被害のあいだで揺れている。加害と被害のあいだにあるのは、「中間領域」ではなく、人間ではないだろうか。あいだにあるものを見誤れば暴力は止まらない。
※AERA 2023年12月11日号