福田和也というのは何者なのか。本人がいちばん「コレだ」と言いたい肩書は何なのか。私はずっと政治評論家だと思っていた。といっても、現在の政治を評論するのではなく、「古今の政治家についてのゴシップ紹介家」という意味合い。この場合の政治家ってのは、「文学者集団における政治家」とか「歌舞伎界における政治家」まで含める。集団内の“政治活動”を解説するのが大好きな人。でも、いまも福田さんは「文学者」を目指しているのではないか。芸術選奨とかをもらうような作家。なんといっても三島賞とかもらってるから、もともと文学者なのだ。
福田さんの本を読んでいつも思うのが「うるささ」。何を書いていても常に出てくる「オレがオレが」というにおい。昭和天皇の伝記ですら、選ぶ言葉の端々まで「このオレがこの言葉をあえて選ぶ!」(昭和天皇を一貫して“彼の人”って書くとか)という自意識がもう、うるさいうるさい。
この本でも、近代日本に登場した奇人を何人も紹介するわけだが、そのセレクトも「皆さん、この人たちはふつうは偉人の範疇として扱われますが、それだけの人じゃない。奇人なんです。奇人の域に行く人こそが本物なんです!」と行間からぷんぷん匂わせる。で、奇人じゃなくて「綺人」と書く。その綺人は、小林一三とか樋口一葉とか。案外ふつう。いやいや、ああ見えるけど奇人なんですよ、と言いたそうだが、ふつうです、ふつう。
それでも、よく知らない奇人も出てくるので興味深く読もうとするんだが、やたら改行の多い、妙に詩情を感じさせる……というか、書いてる人が詩情にひたっているような文章なので気が散ってしょうがない。整体師の野口晴哉(はるちか)について書いた文章など、すごいことになっているので一読をお勧めしたい。ほとんどが野口晴哉の妻とその親(近衛文麿夫婦)のことしか書いていない。思い出した、福田さんは華族好きだ。「新潮45」の連載だったのに、新潮新書になっていないのが納得の本である。
週刊朝日 2012年12月7日号