
お尻を触られている――。
JR埼京線が池袋駅を出発して間もなく、弁護士の青木千恵子さんは“異常”を感じた。午後7時の帰宅ラッシュで身動きがとれない。体をよじったりにらみつけたりしても、痴漢の手はどこまでも伸びてくる。
電車が十条駅を出発する頃には、スカートはまくり上げられ下着をずらされて触られた。
やめて、と言わなくてはいけない。でも、のどでつかえて出てこない。
赤羽駅に電車が到着した時に、ようやく声が出た。
「痴漢したでしょう」
自分を触っていた中年の男のボディーバッグのひもをつかんだ。その瞬間、男は逃げ出した。青木さんはバッグのひもをつかんで離さなかった。すると男はホームでバッグを振り回し、青木さんを引きずったまま階段で逃げようとする。ついに、青木さんの手がバッグのひもから離れた。
だが、逃げる男を2人の男性が追いかけ、赤羽駅の近くで警察官に捕まった。青木さんも引きずられた際に負った右ひざのけがの痛みに耐えながら、被害者として警察署に出向いた。
2020年10月の出来事だった。
証拠の下着を提出するつらさ
青木さんは20年以上、性被害者の支援を行ってきた。弁護士になっても専門分野のひとつとして犯罪被害の案件を手がけてきた。
もちろん、警察での手続きの意味もよく理解していた。だが、被害者になって身をもって理解したつらさもあった。
警察署で青木さんが求められたもの。それは、痴漢の「証拠」としてはいている下着の提出だった。
つい1時間ほど前に触られた生々しい感触が、まだまとわりついている。脱がなければ、と下着に手をかけるが、ぶるぶると震えて動かない。
科学捜査において、下着の提出は重要だ。布についた繊維片やDNAが男のものと一致すれば証拠にもなるし、逆に冤罪事件を防ぐこともできる。
弁護士としてそうした場面に何度も立ち会い、被害者にもそう説明してきた。頭ではわかっていても、心と体が拒否する。
「なぜ、逃げなかった」と聞かれ
女性だけでなく男性の警察官がいる前で行われる生々しい実況見分もつらかった。個室ではうまく撮影できないとの理由で、警察署の廊下で実施された。
「男の親指は臀部のどこにあった?」とマネキンに服を着せて再現される。
体中の「汚れ」をタオルとせっけんでこそげ落としたい。泣き出したい。そんな状況でも、思い出して再現しなければいけない。