紆余曲折の末、老朽化して3年前に哥麿会に持ち込まれ、修復された「一番星号」。復活秘話満載のオリジナルは展示会でも大人気だ(撮影/楠本涼)
紆余曲折の末、老朽化して3年前に哥麿会に持ち込まれ、修復された「一番星号」。復活秘話満載のオリジナルは展示会でも大人気だ(撮影/楠本涼)

 若者の車離れで“自動車王国ニッポン”の座が揺らいでいる。一方で欧米は電気と自動運転にまい進。いまやIT企業や新興勢力の参入も相次ぎ、もうバトルロイヤル状態だ。だが待ってほしい。日本には「技術」だってガラパゴスで元気な市場だってある。AERA 3月6日号「進め!電気自動車」では、そんな熱い人々にフォーカスしてみた。

【写真】ご意見無用の「一番星」

「デコトラ」は日本独自の進化を遂げたカスタマイズ車だ。激動の自動車業界を横目に、我が道を疾走ってきた。粋なトラック野郎は全国の被災地支援にも熱い。

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 2月5日、新横浜国際ホテルに、スーツに身を包んだこわもての男たちが集った。全日本アートトラック連盟「一般社団法人全国哥麿(うたまろ)会」の新年総会。普段は自慢のデコレーショントラックを駆り、仕事や被災地のボランティアに活躍するトラック野郎だ。浮世絵風の極彩色のボディーペイントにド派手な電飾。彼らの乗る「デコトラ」は、日本独自の進化を遂げたクルマ文化の象徴として世界からも注目を集めている。

 第1次デコトラブームを牽引したのは、1975年から79年にかけて東映が菅原文太主演で製作した「トラック野郎」シリーズだ。全10作が公開された。哥麿会も、最初は個々の趣味で愛車を飾ったトラッカーたちを東映が集めて組織化した協力団体だった。自身も最後の2作に出演している3代目会長で運送業の田島順市さん(68)=埼玉県本庄市=が振り返る。

「映画が終わってブームも去り、会も1回解散しました。でもほんとに好きなメンバーが20~30人残り、38年前に私が会長を引き継いだ。映画という活躍の場がなくなったので撮影会を始めると、そのうち『カミオン』(芸文社、84年創刊)というデコトラの専門誌が創刊され人気に再び火がついたんです」

●「仕事車」と「遊び車」

 自分とクルマが雑誌に載る喜び。競ってレベルが上がり、哥麿会の支部も全国に拡大、バブルのピーク時には会員は2千人にまで達した。撮影会やグッズの売り上げを交通遺児支援に役立てた。しかし、排ガス規制やコンプライアンス(法令順守)の強化を求める機運もあり、次第に派手なデコトラが輸送の現場から姿を消していく。

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