ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は「南青山」を取り上げる。
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事の真相はよく分かりませんが、とりあえずここまで騒ぎになった以上、南青山に児童相談所を建設する計画はひとまず見送った方がよいのではないでしょうか。別に「宅の近所に児相ができるなんて、南青山のステータスがガタ落ちざます!」と反対しているセレブ婦人たちに同調するわけではまったくありません。
しかし、想像してみてください。これだけのすったもんだを経てオープンしたとしても、馬鹿な輩が記念写真を撮りに行き、SNSとかに写真を上げるでしょう。週刊誌やワイドショーなんかも「あの噂の児童相談所が遂に!」などと、預けられている子供たちの様子をモザイク入りとは言え報道するでしょう。下手すりゃ子供たちの情報がネットの悪意に晒される可能性もあります。そして、仮に何か問題が発生した日には「それ見たことか」と必要以上に大騒ぎするのも目に見えています。これは基地や市場を移転するのとはまた違う種類の話です。
それにしても、事あるごとに『○○ファースト』を意識し、客観的な視点と論点を見定めようという風潮が高まっている中で、今回の『南青山ファースト』一点張りの主張は、やはり人間は自分本位でしか生きられないという真実が浮き彫りになった顕著な例だと思います。たとえそれがどんなに鼻持ちならない主張であっても、最終的に自己欲求と生理的価値観は抑制できない。メディアだって、冷静に考えればこれは何よりもまず「(預けられる)児童ファースト」の視点で議論されなくてはならない案件だと分かるだろうに。結局は住民も世間もただただ南青山に踊らされているだけで、双方ひっくるめてダサいことになっています。だいたい世間(特に東京都民)は、昔から南青山に一目置き過ぎです。もしこれが銀座や田園調布や成城で、同じように住民から反対の声が上がったとしても、メディアの扱いは違ったでしょう。いつの間にか別格化された『南青山』に対する憧れとやっかみが、結果として一部の南青山住民の戯言に耳を傾けてしまっているのです。
日本中、いや世界中どこへ行っても地域ごとのプライドやステータスは存在します。「出身は?」と聞かれると9割が「(神奈川ではなく)横浜」とわざわざ市名で答える横浜市民。そんな横浜とは「いっしょにするな」と言う川崎。博多と小倉(北九州)も同じ『福岡』で括られることを嫌います。渋いところでは内陸の『山形』と海側の『庄内』とで地元意識がまったく異なる山形県。他にも何かとライバル視している印象がある茨城県と栃木県、島根県と鳥取県、香川県と愛媛県など。さらに限定したエリアになると、東京駅周辺の『丸の内』と『八重洲』も相当です。たかだか東と西の違いでしかないのに、八重洲のOLさんに向かって「あら、丸の内OLね?」などと言おうものなら、「そんな滅相もない! 私はしがない八重洲のOLです」と頑なに恐縮された経験が何度もあります。
その点『新宿』は楽です。東も西も歌舞伎町も2丁目も大久保も神楽坂も、何を意識するでも毛嫌いするでもなく粛々と淡々と『混在』しています。一方で、青山一丁目でも外苑前でもなく『南青山』。その意識(プライド)たるや、アーティスト気取りの大根女優みたいな趣があって、遠目で観ている分には面白いのですが。
※週刊朝日 2019年1月4‐11日合併号