小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』で連載中の「プリンス堀潤のそもそもキーワード」。今回は「沖縄戦」について一緒に考えます。
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今から72年前の1945年6月23日、沖縄で何が起きたか、知っていますか? 太平洋戦争における「沖縄戦」の組織的戦闘が終結した日です。この戦闘では県民を含む20万人以上が犠牲になりました。
1945年3月、アメリカ(米)軍を中心とする連合国軍は、空母10隻以上、艦艇1500隻以上、兵員総勢54万人以上を投入し、沖縄県へ上陸を開始します。対する日本側は、沖縄に11万6400人の兵員を配置。海からは戦艦大和を中心とする艦隊で、連合国軍への特攻作戦を練ります。
しかし、連合国軍の攻撃は圧倒的なものでした。日本軍のほぼ全部隊が3カ月で壊滅。沖縄は地形が変わるほどの激しい砲撃にさらされ続け、その攻撃は「鉄の暴風」と呼ばれるほどでした。当時の沖縄県の人口はおよそ50万。およそ4人に1人の県民がこの戦闘で命を落としたと推定されています。
沖縄県では、日本軍の組織的な戦闘が終結した6月23日を「慰霊の日」と定め、県の休日としました。平和への祈りを国内外に発信し、沖縄戦を忘れないよう死者を悼む大切な日です。
戦後27年間にわたって、沖縄はアメリカの領土でした。その間に米軍基地が県内各地に建設され、72年に日本本土に復帰した後も、沖縄に集中する状況が続いています。基地周辺の住民は、騒音や事故のリスク、米兵による女性への暴行事件などの治安の悪化、基地の建設による環境破壊への懸念など、さまざまな問題と向き合い続け、日本政府に対して基地の負担軽減を求め続けてきました。しかし、根本的な改善に至ったとはいえません。
今年6月、沖縄の基地問題に取り組み、戦争の悲惨さなどを訴え続けてきた元沖縄県知事の大田昌秀さんが、92歳で亡くなりました。2年前の6月、ぼくは大田さんに3時間にわたってインタビューをしました。
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