さて、夫の「親がそこまで介入する必要はない」という考えですが、それは誤りです。息子さんの「やっていない」という言葉が本当か確かめるために、またもし、息子さんが本当に出入り禁止になるようなことをなさっていた場合には謝罪をするためにも、A君の家に母子一緒に出向かれることを提言します。

 孔子は、多くの弟子の心をつかむ思想家として、現代にも通じる考えを説きました。孔子と弟子の言行録である『論語』には、「人、遠き慮(おも)んぱかり無ければ、必ず近き憂(うれ)い有り」(衛霊公第十五)と記されています。

 「遠慮」とは、現代の日本語では、「相手に気兼ねや配慮をして行動や言葉を控えめにすること」の意味で使われますが、本来は、「遠い将来まで見通して深く考えること」を表していました。この言葉は「人がもし、目の前の身の回りの問題を重大なことだと考えず、遠く将来のことに対して熟慮を欠けば、必ず足元から災いが起こるに違いない」という意味です。「無」「有」、「遠」「近」と対義語が効果を発揮している名文ですが、小学2年生のご子息ひとりに「出入り禁止」を解決する力がないことは確かで、親子で目の前の問題にすぐに対処すべきです。「絶対やってない」と言う息子さんの言葉を「信じてあげたい」という相談者さんの母親としての気持ちは尊いものですが、時間が経てば経つほど、問題を解決することは難しくなるでしょう。

 さて、この絶好の機会に、息子さんに「友情」について教えてあげるといいと思います。孔子の弟子、子貢(しこう)が孔子に「友情とはどういうものか」と質問をした時に、孔子は次のように答えてています。 

「忠もて告げて善もて之(こ)れを道(みちび)く。不可なれば則(すなわ)ち止む。自(み)ずから辱(は)ずかしめらるること無かれ」(顔淵第十二)

「まごころを尽くして、過ちがあればそれを教えて良いほうへ導いてあげること。もしうまくいかない場合は、付き合いをやめて相手の様子を見守りなさい。あまりしつこくして、自分から嫌な思いをすることのないように」という意味です。

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