フリーアナウンサーとして、また、2歳の男の子のママとして充実した毎日を送っている尾崎里紗さん。日本テレビ時代からさまざまな情報番組を担当してきた尾崎さんが思う「アナウンサー」という職業のやりがいとは? 新入社員時代に経験した挫折、大学の同級生だったパートナーとのエピソードについても聞きました。※前編<元日テレ尾崎里紗アナが語る、第1子出産時の苦労「母親としての基本作業さえできないことが悔しかった」>より続く
【写真】尾崎里紗アナと先輩アナのショットはこちら(ほか、全6枚)高島彩さんに憧れた中学時代
――アナウンサーを志したきっかけを教えてください。
アナウンサーという仕事を意識したのは中学生のころです。きっかけは、フジテレビ朝の情報番組「めざましテレビ」でMCを務めていた高島彩さんへの憧れでした。見た目の美しさだけでなく、心を和ませる話し方や声のトーンがなんて素敵なんだろう、って。「私も高島さんのようになりたい!」と思いましたね。
大学入学後は、1年生からアナウンススクールに通い始めたのですが、周りはほとんど大学3年生で、本気度も熱量も私とは全然違っていました。私はそれまで人前に立つ経験自体がほとんどなかったので、「自己紹介をしてください」と言われても委縮してしまい泣きそうになるほどでしたが、周りの人たちはモノマネや「あいうえお作文」を取り入れたり、とても上手に自己PRをしていて、衝撃を受けたのを覚えています。
帰宅部の私がチームワークを学んだ「バゲット」
――日本テレビ時代は、主に情報番組を担当されていましたが、印象に残っているお仕事はありますか?
「バゲット」のMCをさせていただいたことです。バゲットのときは番組の企画段階から参加して、いい番組を作るためにはどうすればいいのか、MCとしてどのように番組を進めていくべきか、本当にいろいろなことを考えましたし、スタッフのみなさんたちともたくさん話し合って、人としてもアナウンサーとしても成長させてもらったと思っています。
日本テレビ時代に出演した番組の先輩やスタッフの方々は、みんないい“チーム感”を出してくれる方々でした。私は中高時代、帰宅部だったので、部活でチームワークの素晴らしさを体験することがなかったんです。「ZIP!」や「バゲット」でたくさんの方と仕事をさせていただいて初めて「チーム全体のために自分は何をすべきか」という視点を持てるようになりましたし、何より、周りの人たちからチームの一員として見てもらえたことがうれしかったですね。
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