でもそれ以上に、長い歴史のなかで培われた学校文化が、伝統校の価値です。文化は必ずしも明文化できません。毎日そこに通って、その学校の空気を吸うことで、理屈を超えたところで生徒たちに学校文化が染み込みます。創立されて10年や20年の学校にはない教育力が伝統校にはあります。
生徒たちの生き方に影響を与える学校文化のようなものを、社会学の用語では「ハビトゥス」と呼びます。伝統校あるいは名門校と呼ばれるような学校は、このハビトゥスが強力なのです。各学校のハビトゥスは「○○高校らしさ」「○○高校っぽさ」のような言い方で、世間にも認識されます。
一方、できたばかりの学校あるいは歴史はあっても経営者が替わって校名まで変えて完全リニューアルしたような学校には、まだ確たるハビトゥスがありません。ですから、高い大学進学実績を掲げたり、先進的なグローバル教育やICT教育を掲げたりして、アピールします。ハビトゥスの代わりに「シラバス」(学習計画表)の特異さで勝負しているわけです。
では、塾顔負けの大学受験対策を行ってくれる学校がいい学校なのか、珍しいグローバル教育やICT教育や探究学習を取り入れていればいい学校なのか。それは伝統校か新興校かの選択とは別の話です。
なんとなく新しく見えてきらびやかな教育が好みならば、そういうシラバスを掲げる学校を選ぶのも悪くはありません。でも、目新しい教育が狙い通りの成果をもたらすかどうかは、やってみなければわかりません。そのことを十分に理解してから選んでください。
■学校は時とともに成長する生命体
拙著『子育ての「選択」大全』(KADOKAWA)の序章で詳しく述べていますが、中高生の時期は、中世・近代の人類の追体験をすべき時期です。
その観点からいえば、何百万円もするような最新の実験器具を使った大学生顔負けの理科実験をするよりも、昔ながらの顕微鏡やフラスコを用いた前近代的な実験を行うほうが、のちのち最新鋭の機器を使いこなす科学者になるとしても、大切なのではないかと思います。
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