クラス開設当時は志願者が10人程度だったが、徐々に増えていく。

「保護者の方々がネーミングに期待し、受験を後押ししてくださったというか。東大クラス開設当初は半信半疑ながら、もしかしたらという期待があったのでしょう」

国語力がすべての基礎になる

 教育で注力したのは「読み書きそろばん」、つまり基礎の徹底だった。特にこだわったのが国語力だ。

「一番大切なのは国語の力だから、特に国語の授業はていねいにやってほしいと先生方にお願いしました。すべての基礎は国語で、あらゆる教科において国語の力がなければ問題は解けません。それが今の時代に合っていきましたね」

 05年には、他校に先駆けてアクティブラーニングを導入。ディスカッションを中心とした生徒主体の授業を取り入れた。これには、世界銀行での「知識だけではだめ」という、苦い思いが生きている。

 徐々に大学進学率も上がり、早慶に累計200人ほどの合格者が輩出する進学校に育っていたが、07年にはカリキュラムを大きく改編し、国立・理系型に変えた。

「時代が急速に変わっているのを感じました。いくら早慶の合格者が増えても、文系だけの学校では時代に取り残されてしまう」

 同時に、理系の教員を大量に採用した。これらの改革が功を奏して、大学実績も上がり09年からは東大に2桁の合格者を出し、16年には合格者27人と県立浦和高校を抜いて、埼玉でトップに躍り出ている。さらに22年には理系を厚くしたカリキュラムの効果が表れ、東京理科大合格者が198人と日本一になった。特に顕著なのは、国立、私立とも医学部医学科の合格者が急増した点である。志願者数も右肩上がりに増え、14年以降、10年連続で中学校の志願者数が1万人を突破している。

佐藤理事長の志を継ぐ

 佐藤栄学園を創設から導き田中先生を支えた佐藤理事長は、08年に逝去。田中先生にとって、くやしい思いがある。

「やっと東大合格者が出始めたころでした。もっと栄東の隆盛した姿を見てほしかった」

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