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「不平等に対する復讐」 中村哲医師が人生をアフガニスタンに捧げた理由

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古田大輔AERA
ペシャワール会現地代表を務めた中村哲医師。今年10月、アフガン政府から名誉市民権を授与されたばかりだった(撮影/古田大輔)

ペシャワール会現地代表を務めた中村哲医師。今年10月、アフガン政府から名誉市民権を授与されたばかりだった(撮影/古田大輔)

 12月4日、ペシャワール会の中村哲医師(73)がアフガニスタンで何者かに銃撃を受け、死亡した。戦争、飢餓、旱魃……。アフガンの人々と共に歩み、取り巻く不平等に立ち向かい続けた。AERA 2019年12月16日号から。

*  *  *
 中村哲医師が銃撃され、亡くなった。戦争と、飢餓と、終わらない暴力の連鎖。世界で最も危険な国の一つであるアフガニスタンで、だからこそ、そこに住む人たちを決して見捨てず、人生の大半をささげてきた。最後は本人が否定し続けてきた暴力によって、命を落とした。73歳だった。

 20年ほど前、当時大学生だった私は中村医師が帰国中に開く講演会に参加していた。中村医師は高校の大先輩でもある。質疑応答の時間となり、私は手を挙げて質問した。

 世界にも日本にも困っている人、苦しんでいる人はたくさんいます。なぜ、アフガニスタンなんでしょうか?

 中村医師は講演会や記者への取材対応の際にいつもそうであるように、表情を変えず、淡々とした声色で答えた。

「たまたま、ですね」

 そして、一拍おいてこう続けた。

「たまたまそこに行って、そこで困っている人を見た。あとは……まあ、義を見てせざるはなんとやらといいますか……」

 会場からは笑いが起きた。中村医師がはぐらかしているように感じた人もいただろう。だが、それは半ば以上本心だった。

 福岡で勤務医をしていた中村医師は、1978年、知人に誘われて山岳会のパキスタン遠征に医師として同行した。昆虫採集が趣味で「珍しい蝶(ちょう)がいる」という言葉に惹かれた。訪れた現地で運命を変える光景を目にする。

 それは、貧しく十分な医療を受けられない人々の姿だった。持ってきた薬品は山岳隊のためにとっておかねばならなかった。結核で血を吐く青年、失明しかけの老婆、ハンセン病の村人……。日本から医師が来たと聞きつけ、すがる思いで治療を頼みにくる人たちを見捨てざるを得なかった。


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