中学受験には保護者の意思が強く表れるものだが、俵万智さんと息子さんの場合では少し事情が違ったようだ。6月30日発売のAERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2023』(朝日新聞出版)で、子ども自身の意思を尊重した中学受験と、中高時代の思い出について語った。

MENU ■小学校は全校児童13人。卒業を機に宮崎へ ■寮生活でたくましく成長。生きる力も身についた ■「携帯電話禁止の6年間。息子に毎日ハガキを送りました」

* * *

 俵万智さんが歌集『サラダ記念日』を発表したのは、今から35年前。日々の出来事や恋人への思いを20代女性の話し言葉で詠んだ歌が共感を呼び、同書は歌集としては異例のベストセラーとなった。

■小学校は全校児童13人。卒業を機に宮崎へ

 俵さんの作品にたびたび登場し、読者の間ではおなじみの一人息子は、2022年春に宮崎県立の中高一貫校を卒業。現在は東京の大学に通っている。

「息子が中学に入るまでの5年間は、石垣島に住んでいました。小学校は全校児童が13人。年齢の違う子、まったく性格の違う子とも工夫して一緒に遊ぶので、少人数だからこそ社会性が育ったという面もあるかもしれません」

 大自然の中で存分に遊べる石垣島は、好奇心旺盛な小学生男子にとっても、息子を土の庭で遊ばせたい一心で東京を離れる決心をした俵さんにとっても、理想の環境だった。だが、地元の中学は、小学校よりさらに小規模になる。

「思春期の多感な年頃は、もう少し人数の多い環境で、好きなことや気の合う友だちを見つける経験をしてほしい」。

 子育てのために移り住んだ石垣島を出ると決めた理由も、また子育てだった。

 受験勉強を始めたのは小6の夏休み。宮崎市内に短期の賃貸マンションを借り、進学塾の夏期講習に参加した。

「中学受験をしようと決めたのは、地元の子が大半の公立中で疎外感を味わうより、全員が『初めまして』になる環境のほうがいいと考えたからです。当時の息子にとって宮崎市は大都会。そこで塾に行くこと自体に憧れがあったようで、お弁当持参で楽しそうに通っていました」

 自身は県立の進学校出身で、高校教員の経験もある俵さん。志望校選びでは気になる学校の情報を全国から集め、見学にも足を運んだ。

 後に息子の進学先となる学校について知ったのは、高校生の短歌大会「牧水・短歌甲子園」の審査員として宮崎県を訪れたときのことだった。息子が中学受験をすることを地元のある教員に話したところ、「宮崎にもユニークな学校がありますよ」といくつか校名を挙げてくれたうちの一つだった。

■寮生活でたくましく成長。生きる力も身についた

「男女共学の公立中高一貫校で、全寮制。しかも山の中にあると聞いて、早速オープンスクールに申し込みました。私はいくつか見る学校の中の一つのつもりだったのですが、息子はすっかり気に入り、『絶対この学校に通いたい。だから勉強も頑張る』と言い出して。このときの彼の熱意には、正直驚きました」

著者 開く閉じる
木下昌子
木下昌子

NEXT息子の受験勉強中、俵さんが意識していたこととは?
1 2