音楽一家に育った田代万里生さんは、絶対音感を持ち、歌だけでなく楽器演奏もできる。声楽の道に進んだきっかけを語る。
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幼い頃から、家の中はいつも音楽で溢れていた。小学生から社会人まで、いろんな世代の生徒たちがピアノ講師である母のもとでレッスンを受けていた。オペラ歌手の父のもとにも、幼稚園児からプロの声楽家まで、レッスンのためにやってくる。
そんな中、ピアノにしても歌にしても、子供と大人とでは技術ではない何か──心の持ちようが違うことに気づきはじめた。音楽を楽しんでいるのはみんな同じ。でも、歌やピアノを習いごととして捉えている子供たちと、大学生やプロとでは、えたいの知れない音楽というものに取り組む上での“本気度”が明らかに違った。
「企業に勤めるサラリーマンのお父さんは、休日は、きっと家でのんびりしたいと思うんです。だけど子供に頑張って働いている“父親の本気”を見せる機会はめったにない。でも、音楽で食べている人、食べていこうと思っている人は、レッスン中も常に本気(笑)。同時に、楽しそうでもあったんです」
プロフィルには、「ピアノ講師の母のもと、3歳でピアノを学び、7歳でバイオリン、13歳でトランペットを始め」とあるが、どの楽器も、親から「やりなさい」と言われたものではなかった。
「小さい頃は、グランドピアノの下に隠れて、生徒さんがペダルを押している足を見るのが楽しかった。幼い僕はペダルのメカニックな感じが好きだったんだと思います」
昼間は、入れ代わり立ち代わり生徒がやってきて、ピアノに触れることができない。幼い田代さんは、生徒が帰った後に夢中になってピアノを弾いた。
「幼稚園のときは毎日5時間ぐらいピアノと戯れていました。ピアノを独占できるのが嬉しくて。普段は子供たちでごった返すプールが、ある時間から貸し切りになった、みたいな感覚でした(笑)」
インタビューを受けているときも、何だか楽しそう。話すことは本業ではないが、対話のリズムやスピード感を、初めて会った相手とのセッションのように楽しんでいるのだろうか。