

地下鉄サリン事件から20日で30年。オウム真理教はなぜ生まれ、あれほどの重大な事件を起こしたのか。2018年7月6日に配信した記事をあらためて紹介する(週刊朝日緊急臨時増刊「オウム全記録」2012年7月15日号からの抜粋です)。
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6日、法務省が発表した、オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の教団元幹部の死刑執行。多くの謎を残したままの死刑執行に、様々な声が挙がっている。麻原彰晃とはどんな人物だったのか? 6千人を超す死傷者を出した地下鉄サリン事件から17年となった2012年。最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』で徹底的に取材した麻原像を、特別に公開する。日本中を、いや世界を震撼させたオウム事件とは何だったのか。「尊師」と呼ばれた男の半生と、テロにつながった「狂気」の全貌を、全3回で明らかにする。
*27歳ですでに詐欺師… 麻原彰晃はどうやって出来上がったのか?<麻原彰晃の真実(1)>よりつづく
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■オウムの誕生
83年になって麻原彰晃と名乗り始めると、翌84年2月、教団の前身となるヨガサークル「オウム神仙の会」の主宰として、再び世に出てきた。
85年には、座禅を組んだまま浮き上がる「空中浮揚」に成功したとオカルト誌に売り込み、写真を掲載させた。矢継ぎ早にトップの著作を出版し、組織を大きく見せる戦略は、先行する新興宗教と同じ手法だった。
教団の資料によると、麻原は86年1月に修行の本場であるインドを訪問し、同年夏にヒマラヤで「最終解脱」を果たした、とされる。
わずか15人で発足した「オウム神仙の会」は、86年には東京世田谷区に東京本部、87年には大阪市淀川区に大阪本部をつくり、設立から3年半で信徒を1300人にまで増やした。
そして87年7月、「オウム真理教」に改称。全国各地に支部や道場を建設し、教団の拡大を図った。
信徒の増加にともなって、営利追求の姿勢も露骨になっていった。
<解脱特別修法10万円、グルヨーガイニシエーション30万円、血のイニシエーション100万円……>
修行マニュアルが体系化されて法外な料金を取るようになり、布施も制度化されていった。