第2次世界大戦中には、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺があった。戦争終結後の1947年、ユダヤ人への同情もあり、国連はパレスチナの地にアラブとユダヤの二つの国をつくるという「パレスチナ分割決議」を採択。翌年、ユダヤ人のイスラエルが建国された。

 その後、イスラエル建国に反対するアラブ諸国は、イスラエルと4度にわたり、戦争をした(中東戦争)。しかし、軍事力に勝るイスラエルの優勢は続き、パレスチナ人の国家は建設されないまま、多くのパレスチナ人は難民となって近隣国に逃れたり、イスラエル占領地内にとどまったりした。

パレスチナ人の自治区はできたが、国家は建設されず

 イスラエルとパレスチナの和平に明るい光が見えたときもあった。93年に成立したオスロ合意だ。パレスチナ国家を樹立し、イスラエルと共存する案が合意された。そして94年、イスラエル領内のガザ地区とヨルダン川西岸地区はパレスチナ人が治める自治区となった。しかし、95年にはイスラエルのラビン首相が和平反対派のユダヤ人青年に暗殺され、2国家共存の機運はしぼんだ。

 ガザ地区は、2007年にイスラム組織ハマスが支配してから、イスラエルとの緊張が高まった。イスラエルはガザ地区を高い壁で囲い、必要最小限の物資以外の出入りを厳重に管理した。ガザ地区は「天井なき監獄」といわれる状態になった。今回、ハマスはこの状況を打破しようと突然の攻撃に出たとみられる。

 この問題は世界の分断にもつながっている。裕福なユダヤ人が多くいるアメリカ、ユダヤ人に罪の意識を持つドイツやイギリスは基本的にイスラエルを支持する。

 一方、中東のアラブ諸国やイランは基本的にパレスチナを支持し、アメリカへの対抗心の強いロシアや中国はパレスチナに同情的だ。このため、今回の軍事衝突に対しても国連安全保障理事会の意見はなかなかまとまらず、国際社会は有効な対策をとることが難しい。

 ただ、日本はこの問題に関してはアメリカと少し立場が違う。石油の輸入などを通じてアラブ諸国やイランとも友好的な関係を維持している。この立ち位置を生かして、日本が問題解決に向けてもっと大きな役割を果たせないものかと思う人は少なくない。

(ジャーナリスト・一色清)
 

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