山野 僕、小学校6年間学級委員やってたんですよ。児童会長も応援団長も。

高濱 すごい、ずっと選ばれてたんだ。

山野 いや、毎回立候補です。

高濱 ええー! こりゃ本物だ。自ら手をあげるタイプか、日本人には珍しい。どうしてそんな子になったと思う?

山野 兄が2人いたというのは大きかったかも。余談ですが、僕は末っ子だったので、アルバムの量が全然違ってました。長男が10なら次男は7、僕は3くらい(笑)。

高濱 あーそれは、末っ子あるあるだね。お兄さんとはいくつ離れていたの。

山野 2歳上と4歳上です。家族の中で一番最後に登場した僕は、みんなから可愛がられもするけれど、ちょいちょい放置もされる。あいさつやルールについて親や兄から厳しく言われることもあれば、母から「あんただけ言うことをきかない」と嘆かれたり、兄からは「なんでお前だけ自由なの」と文句言われたり。いろんな指摘を受けるうちに、また、兄の失敗を目の当たりにするうちに僕は自然に要領がよくなっていき、この集団の中でどうやったら自分がうまく立ち振る舞えるのだろうかとか、どうしたらこの場が盛り上がるだろうかということをよく考えていた気がします。 

■「井の中の蛙」でいられたからこそ自己肯定感が培われた

高濱 なるほどね。それが学校でも見事に発揮されたんだ。

山野 はい。幼稚園時代は体が大きくガキ大将で、小学校からは成績はずっとトップだったし、中高時代はサッカー部のキャプテンで。さらに目立ちたがり屋の盛り上げ好き。あの頃は先生にほめられた記憶しかないですね。すごいね、すごいねって。僕、これでも地元の一部では神童と呼ばれていたんですよ。

高濱 女子にもモテたでしょ。

山野 はい、モテました(笑)。バレンタインでもらえなかった年はないですし、これ言うとみんなにマンガみたいって驚かれるんですが、中学の卒業式では学ランのボタンが全部なくなりましたからね。袖のボタンまで。

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