■日本の税金の移り変わり
中国の歴史書「魏志倭人伝」に、3世紀ごろの日本の税(※注)についての記録がある。卑弥呼が支配する邪馬台国では、税を取り立てていたという。
<飛鳥・奈良時代>
税の制度が確立したのは、700年ごろのこと。収穫した稲の約3%を納める「租」、都で働くかわりに布などを納める「庸」、絹や塩など地方の特産品を納める「調」などが、今の税金に当たる。税の負担に苦しむ農民の中には、土地から逃げ出したり、戸籍にウソを書いたりして、税から逃れようとする者も多かった。
<平安・鎌倉時代>
農民は、年貢(米など)や公事(糸・布・炭など)、夫役(労働で納める税)などを領主に納めた。
<室町時代>
税の中心は年貢だったが、商工業者に対しても税が課せられるようになった。街道に設けられた関所や、港では、通行税が取られた。
<安土桃山・江戸時代>
天下統一を果たした豊臣秀吉は、全国の土地調査を行い、農地面積だけでなく、土地の状態や田畑の収穫高などを調べて年貢をかけた(太閤検地)。この方法は、江戸時代にも受け継がれ、農民は厳しい取り立てを受けた。
<明治時代から1945年まで>
農民が納める税を年貢米から土地に対する税金に変えた(地租改正)。酒税や所得税、法人税などが導入されたのも、明治時代。1940年、戦争が続き国のお金が足りなくなった政府は、いろいろなものに物品税をかけた。そのため、国民は厳しい生活を強いられた。物品税は、45年の終戦以降も乗用車などぜいたく品にかけられていたが、消費税導入のときに廃止となった。
(※注)お金が広く行き渡るまでは、政治を行うために必要な費用はお金に代わる物や労働で納められました。これらを「税」と呼びます。
【キーワード:直接税】
税金を払う人と、実際に税金を国などに納める人が同じ税金。
【キーワード:間接税】
税金を払う人と、実際にその税金を国などに納める人が違う税金。
※月刊ジュニアエラ 2019年3月号より