「2018年度優秀従業員賞」を受賞した精鋭たち。
一人ひとりの頑張りにより、お客さまに愛される店に
一人、またひとりと、客が自宅へ戻るような気軽さで店へ入っていく。平日のランチタイム。新潟県のほぼ中央、県道436号に面した「セブン-イレブン五泉下町歩店」は、たくさんの人でにぎわっていた。
「いらっしゃいませ」「揚げ物はいかがですか」。売り場じゅうに、元気な声が響く。居心地のいい店だ。女性従業員の笑顔につられ、レジ横のケースに並ぶ「ななから(鶏のから揚げ)」が無性に食べたくなってきた。
「この店の従業員は、頑張り屋さんで優秀な人ばかりです。今があるのは、みんなのおかげ。私は人に恵まれました」
そう言って、オーナーの中村太さん(50)は目を細めた。
店がオープンしたのは、太さんが42歳の時だ。「人生悩んで、回り道をして。やっと自分が歩む道はセブン-イレブンしかないと腹をくくった。今、本当にやりがいを感じています」
実は太さん、高校生の時からセブン-イレブンと縁がある。父の明治さん(78)が先代から継いだ酒屋を転換し、セブン-イレブンの経営を始めたからだ。
「たまに店を手伝ったりしましたが、継ごうだなんてとんでもない。反対に、絶対コンビニなんてやるものか!と思っていました」と、太さんは苦笑する。大きな夢を描くのは、若者の特権だ。父とは別の道を選び、「自分はもっと、でっかいビジネスをやってやる」と息巻いていた。20歳そこそこで上京し、就職したこともある。新潟へ戻って結婚し、自ら事業を起こしたこともある。
「でも不思議といつも、お父さんが地道にコツコツとやっているセブン-イレブンのことが頭の隅にあったんです。自分の中にも、商売人のDNAがあったんでしょうね」
年を重ね、自分の家族ができてから、太さんは幼少期に体験したあるシーンをたびたび思い出すようになった──。家業が酒屋だったころ、父親がよく商品の配達に連れて行ってくれた。その先々でお客さんから「ありがとう」と感謝され、おやつをもらうことも。
「お客さまが喜んでくれるのがうれしくて、配達に行くのが好きでした。そんなことを思い出して、自分はお父さんと同じ、商売の道が向いてるんじゃないかなと、気づいてきたんです」
だが、心の変化を素直に言い出せなかった。なにせ散々、親にも妻にも「セブン-イレブンはやらない」と言ってきた。もっと明かせば、新婚時代に一度加盟しようとしたことがあったが、審査でまさかの不合格。本部から加盟を断られた。
「ショックでした。やっぱりセブン-イレブンなんてやんねぇぞ!ってやけにもなりました。本当は、まだ自分自身、商売をやる覚悟ができてなかった。それを本部の方々が見抜いただけなんです」
人生、うまくいかない時ばかりじゃない。心が変われば態度も変わる。それを見てくれている人は、必ずいる。
時折、父の店を手伝い、人と人とが支え合って回るという店の醍醐味がわかってきた不惑のころ、父の店を担当するOFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー/店舗経営相談員)に声をかけられた。
「店をやってみる気はありますか?」
迷いはなかった。やる。やりたい。今度こそ頑張りたい。すぐに妻にも話した。
「セブン-イレブンを始めて、人生やり直さないか」
苦労をかけた分、相当思い詰めて口を開いた。だが妻の佳枝さん(44)は「夫がやりたい仕事を楽しくできるなら、ついていくだけ。全力でサポートしよう」と、すんなり受け止めたそうだ。
2011年の師走、太さんは本部社員と一日がかりで入念な最終確認を行い、契約書にサインした。気合を入れるために4万円の万年筆で書いた自分の名前は、膨らむ期待で少し震えていた。
従業員らが「オーナーと写りたい」と集まった。チームワークの良さがわかる
スタートを切った店がこの店で、「幸運だった」と太さんは思っている。
もともと出店候補地は、2カ所あった。県内の繁華街と土地勘さえなかった五泉の地。繁華街のほうが人通りがよく儲かると読んだ太さんに対し、五泉市に行きたいと強く言ったのは佳枝さんだ。
「街なかは一見さんのお客さまが多い。地元の人たちと密接に関わる、深い接客をしたいと思ったんです」(佳枝さん)
判断は間違っていなかった。東に名水「どっぱら清水」で有名な菅名岳を望み、夏は水遊びができる早出川に近いロケーション。産業道路と生活道路が入り組んだ住宅街に、これまでなかったコンビニができたインパクトは大きかった。
「買い物ができるようになって便利」と考えただけじゃない。「近いから働いてみたい」という住民が多く、オープン時には30人ほどの従業員が集まった。
太さんは言う。
「オープン時、心に決めたことがあります。売り上げがどうこうじゃない。従業員さんを大切にしよう。みんなが自立心を持って働きやすい環境をつくろうって」
店の将来を考え、12年先までの事業計画を立てた。やるからには日本一の店をつくっていこうと思いを語り、従業員一人ひとりが店の方針に納得がいくまで話し合った。そのうえで、個々の適性に合わせた仕事のやり方を考える。
「店はオーケストラ。主役は従業員で、私やマネジャーは指揮者にすぎない。みんなでお客さまを笑顔にしたい」と、徹底した「従業員ファースト」を貫く。
仕事はひとりじゃできない。支え合い、知恵を出し合い、汗を流す仲間がいてこそ前に進むことができる。こう教えてくれたのは、30年間にわたり、グチひとつこぼさず、地域のためにと店を営んでいる父の背中だ。人を敬い、大事にすることが商売の原点──。今はそう、はっきりとわかる。
高校生の時、アルバイトで入った鈴木麗奈さん(右)は今や店長に。
明るい接客で場を盛り上げる19歳の妹・澪奈さん(左)とともに、目指すは地域一番店!
売り場を見て回ると、整然と商品が並び、あちこちに手書きのポップが飾られ、揚げ物ケースにはかわいい文字で「今週のおすすめ」と大きく書かれていた。
オープンして7年、すっかりマネジャーの顔になった佳枝さんによると、「従業員を四つのチームに分け、毎週持ち回りで、おすすめ商品の販促キャンペーンをしている」と言う。
従業員が食べておいしいと思った商品を「おすすめ」と認定するのがポイントだ。自分で考え、納得した商品だからこそ、自信を持ってお客さまに薦めることができる。確かに、従業員のテキパキとした姿は自信にあふれている。これも"指揮者"の人徳なのだろう。こうして何もかもが順風満帆にきたように見える店だが、過去に一度だけ、危機があった。オープンして1年後のこと、太さんがくも膜下出血になる一歩手前の状態で入院した。
「あれこれ頑張りすぎたんでしょうね。病院に行ったら即、1カ月の入院を余儀なくされました」(太さん)
突然倒れた太さんに心配をかけまいと、佳枝さんはじめ、従業員たちが懸命に店を支えた。太さんはしょっちゅう「店は大丈夫か?」と、見舞いにくる佳枝さんに聞いたそうだが、いつも「大丈夫」しか言わない。退院後、店に戻ると従業員たちの姿が以前より大きく、頼もしく感じられたそうだ。
「ケガの功名というんでしょうか。店の絆が深まった。もう完全に、うちの従業員はみんな家族です。頼りにしています。感謝しかない」
そんな太さんの思いは、ちゃんと伝わっている。オープン時にアルバイトで入り、今は店長を任されている鈴木麗奈さん(23)は「オーナーが私たちのことを本気で考えてくれているのがわかるから、みんなで頑張って、いいお店にしようって思います」と話す。
店を担当する新潟北地区のOFC・松尾隆文さん(26)も同じだ。「一緒に全力で店をよくしていきたい。いい商品があって、いい売り場がある。これを作る『人の思い』がセブン-イレブンの強みですから」
多くの思いを積み重ねて、太さんは14年から、1年間頑張った従業員をたたえる「優秀従業員表彰制度」を設けた。
接客態度などさまざまな項目で採点し、最も高い点数を取った従業員を決める。毎年5月最後の日曜日、市内のホテルで表彰式を行い「この時を忘れないように」と最優秀者には腕時計を授与する。
17年度は主婦の加藤あやこさんがトップに輝いた。ステージでスポットライトをあびる姿を見た、当時7歳の息子のいおり君が「ママすごい」と言っていたのがうれしかったと、太さんは振り返る。
何年も前から計画し、このイベントを始めたのには二つの理由があるという。
「年に1度、みんなにありがとうと感謝の気持ちを伝えたいから。そして自立心を持って働いてほしいから」(太さん)
目標があれば、日々の業務を頑張れる。頑張った分だけ、夢を叶えられる希望を作ってあげたい。みんなの頑張りで、2度も地域一番店として本部から表彰された五泉下町歩店。この店から独立してオーナーになる者が出てきてもいい。
「コンビニって、地域の暮らしを支える大切な仕事です。この仕事に誇りを持ち、ともに夢を描いていける人が育つといいな、そう思いますよ」と、先を見る太さんの目は親のそれだ。最後に店、そしてオーナーとしての将来像を尋ねてみた。
「もうね、夢がたくさんありすぎて、とても話しきれません」と太さんが笑うと、隣で佳枝さんも笑う。ずっと黙って聞いていた明治さんも、息子の横顔を見つめて「たいしたもんだ」とほほ笑んだ。
SHOP DATA
セブン–イレブン五泉下町歩店
住所
新潟県五泉市五十嵐新田字下町歩1052-4
特徴
2012年2月29日オープン。
いつも地元客でにぎわう明るい店だ