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人生のキセキ 〜セブン-イレブンとともに

|05|大澤 和美 セブン–イレブン秦野堀山下店オーナー 生まれ育った地元の暮らしを支え続けて

「本部の承認が出たら、もう1店舗やりたい」と、大澤さん。
やさしく前向きな姿勢に、従業員の信頼も厚い

サラリーマン生活に別れを告げ、飛び込んだ小売りの世界。
商売の厳しさを知った以上に、家族や周囲の温かさにふれた。
働き方も、人生も、自分次第で変えられると思う。
次代へ夢を託す日まで、人を大切にする心を忘れずに歩きたい。

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オープン当初、記念に店の前でパチリ。
大澤オーナー夫妻のチャレンジが始まった(1998年冬撮影)

 ふと、考えてみる。人生、このままでいいのだろうか。何か新しい挑戦をしてみたい──。多くの人が、一度くらいはこう思ったことがあるだろう。セブン-イレブン秦野堀山下店のオーナー・大澤和美さん(60)も、そんな思いに駆られたという。金融マンとして脂がのっていた、30代半ばのことだった。

「自分の力で経営をやってみたくなったんです」

 定年時に退職金がもらえるサラリーマン人生は、安定しているかもしれない。だが定年後に収入が減ることを思えば、商売にかける人生も悪くない。時間も収入も、自分次第という点が魅力だ。

 興味を持ったのがセブン-イレブンだった。1990年代後半、セブン-イレブンの出店は全国7千店を超え、「関東一帯での勢いはものすごかった」と大澤さんは振り返る。

 図らずも、自宅の隣に空き地を持っていた。当時、周辺に買い物できる店はなく、コンビニを始めるには打ってつけだとピンときた。直接、本部へ問い合わせると「活用できる土地があるなら、いい立地ではないか」と言う。

 大澤さんの心は固まった。会社を辞め、セブン-イレブンの経営に挑んでみたい。問題は、家族の理解をどう得るかだった。

商売の厳しさを思い知る

「本当に大丈夫なの?」

 "家族会議"で加盟を反対したのは、専業主婦として家庭を守ってきた妻・道子さん(56)だった。

 当時、一人娘はまだ小学生。母の立場としてみれば、ごく自然な反応だ。無休の商売を始めれば、娘に寂しい思いをさせてしまうかもしれない。収入がきちんと得られる保証もない。

「絶対無理。私も店に出るなんて、できっこない。最後まで反対でした」

 道子さんの心を動かしたのは、大澤さんが言ったひとことだった。

「自分の労力を自分のために使いたい」

 夫の覚悟を察し、ついていこうと腹をくくった。

 98年1月、オープンした「セブン-イレブン秦野堀山下店」は、予想以上に繁盛した。ドリンクや弁当等を1、2点買っていくだけでなく、日用雑貨をたくさん買っていくお客さまも多い。

「近くに店がなく、買い物に困っていらしたお客さまが多かったんだなと、改めて気づきました」

 生まれ育った地元だが、思いのほか高齢化が進んでいることや、一人暮らしの方が多いと知った。こうしてご近所さんの顔が見え始めると、もっと便利な店にしていきたいと、商人魂が頭をもたげてくる。

「毎日、必ず店に出ました」

 夫婦で店を切り盛りし、開店1年が過ぎたころは数人の社員を雇えるように。業績も順調だった。

 ところが、町に灯ったにぎわいを競合が見逃すはずはない。開店4年目になると、近くにスーパーやホームセンターが建ち、一気に売り上げが落ち始めた。このままでは店が立ち行かない。どうすればいいのか。悩みに悩んだ。

 結果、大澤さんは社員とパート3人に対して退職を告げるという、苦渋の決断を下さなければならなかった。この時の心の痛みは、今も忘れない。

売り場に野菜を置きたい

「あの時、思いました。原点回帰しよう、お客さまを大切に『近くて便利』な店になろうって。そのためには売り上げと利益のバランスをしっかりと調整しなきゃいけない。商売は売ってなんぼ。品ぞろえを徹底的に見直しました」

 大量買いなら、スーパーやホームセンターには太刀打ちできない。だが、店の周辺は高齢の方が多く住んでいる。「少しだけ買いたい」というニーズはあるはずだ。むしろ、ちょっとした暮らしの不便を便利にしてきたのが、コンビニの歴史。小回りのよさを武器に、地域のお客さまがほしい物をそろえれば、まだまだ戦える。

 そう考えを巡らせていた時、「なぜコンビニには野菜が売っていないのか」と、大澤さんは思い立ったという。今でこそカット野菜などが売れ筋になっているが、10年ほど前、野菜を置くコンビニはほとんどなかった。

「一人や二人暮らしで料理する時、使う分だけ、少し野菜があれば便利よね」

 と、道子さんも言った。大澤さんは、地区担当のOFC(店舗経営相談員)に相談し、同じ神奈川県内で新鮮な野菜をそろえる青果店を営む店へ車を走らせて、野菜を仕入れに行くことにした。

 トマト、キュウリ、白菜といった主な野菜に、季節の果物も仕入れる。売り方は道子さんの主婦感覚を頼りに、少量で手ごろな価格設定に徹したという。

「思ったとおり、よく売れました」

 その実績も手伝い、近隣のオーナー仲間と共同で青果店と相談し、定期的に野菜を配達してもらえるまでに取り組みは広がった。

「地域に密着した商売をするには、自分たちの頭で考え、仕掛けていかなくちゃだめだと実感しましたね」

 と、大澤さんは当時を振り返る。その後、本部経由で野菜を仕入れることができるようになり、独自のルートは解約したが、「ニーズに合った品ぞろえの大切さ」を肌で感じたという。

「お客さまのために何でもしたい」。思いが強くなればなるほど、店の売り上げは再び上り調子になっていった。

時代の風潮に流されず、自分の信じる商いの道をゆくだけだ。
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商売は山あり谷あり。夫婦、力を合わせてやってきた。今後はふたりの時間も増やしたい

自由に休める職場づくり

 商才を発揮した大澤さんは、2012年2月に2号店「秦野文化会館通り店」をオープン。店を増やし、人繰りや収益を安定させた。さらに13年には1号店をリニューアル、「品ぞろえを充実させたい」と、売り場を広くした。そして将来的には、もう1店舗増やしたいと考えている。

 こう聞くと、がむしゃらに数字を追う経営者のイメージがあるが、大澤さんの働き方のモットーが「自由に休もう」だというから興味深い。

「社員は繁忙期をのぞいて基本、週休2日。残業はほぼなし。私も妻も、今は週休3日です」

 そもそも店を始めたのは、自分や家族のために働きたかったからだ。商売が軌道に乗るまでの苦労は致し方ないが、開店して22年目。時代は変わった。

「国が働き方改革を進めているし、私も妻も休む。社員たちも十分休んでほしい。売り上げが上がった場合、社員に還元してあげたい。そのために、日ごろからみんなで話し合って運営しています。商売の考え方は、いろいろあっていい。個店個店で職場環境を整えていく時代だと思います」

 休みがなくて、給料も安いままでは、会社を辞めた意味がない。仕事も人生も、自分らしく過ごしたいというのが大澤さん流のコンビニ経営だ。

 7年前、大澤さんに声をかけられ転職した秦野堀山下店の店長・飯田孝之さん(44)は、こう話す。

「店に入る日が続くと、オーナーはすぐ休めと言ってくださいます。人にやさしい経営を貫く姿勢がすごい。これからは、自分たちが頑張ってオーナーや奥さんに楽をさせてあげたい」

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転職して店長に就いた飯田さん。暮らしに寄り添うコンビニの仕事にやりがいを感じる日々だ。
尊敬する大澤さんの還暦祝いに、同僚らと希少な大吟醸を贈ったという

商売で深まった家族の絆

人を大切に!謙虚!

 改めて、自宅に隣接する秦野堀山下店に入ると、清潔な売り場に日用雑貨から総菜までがズラリと並び、一層の存在感を放っていた。仏花まで扱っているところに、高齢者が多い地域の"買い場"として根付いているのがわかる。

 品ぞろえだけではなく、配達サービスに力を注いでいるのも、この店の特徴だ。重い商品を購入された高齢のお客さまに声をかけ、荷物をあとで届ける。体が不自由なお客さまには電話でほしい品を聞き、定期的に配達するのが、大澤さんの役目だ。

 実は、お客さまに安心して買い物してもらいたいという願いは、今に始まったことではない。10年ほど前、道子さんと娘さんと家族3人、「赤十字救急法救急員」の資格を取った。

「寒い季節、買い物中に店で体調を崩される高齢のお客さまが少なくない。いざという時、応急手当ができるようになりたいと話したところ、妻も娘も賛同してくれて、みんなで一緒に受験したんです」

 実際に店でお客さまの具合が悪くなった時、冷静に対応できるようになったそうだ。こうして家族みんなでご近所さんを思う心が芽生えたのも、地域に密着した商売を始めたおかげだと、大澤さんは思う。

 この9月、大澤さんは還暦を迎えた。本人以上に道子さんが感慨深く言う。

「よくケンカもしたけど、オーナーである夫の人を大切にする姿を見て、学ぶことが多かった。人として私も成長できたかなと思うと、一緒に頑張ってきて本当によかった」

 突然の妻の告白に、照れてしまった大澤さん。「次の世代の人たちのために、もうひと踏ん張りしないとね」と、道子さんに笑顔で返す。人生これから。夫婦二人三脚の道は続く。

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SHOP DATA

セブン–イレブン秦野堀山下はだのほりやました

住所

神奈川県秦野市堀山下631

特徴

1998年1月29日オープン。
高齢者が多い地域のニーズに応じた品ぞろえ・サービスを強化