苦楽をともにしてきた妻・弘子さんをはじめ、家族で過ごすひとときが明日の活力(2019年3月19日、結婚記念日に撮影)
それは、15年以上も前のことだ。現在、東京都港区で3店舗のセブン-イレブンを経営するオーナー・梅本敏郎さん(68)は、永田町の高台に鎮座する日枝神社の石段から、じっと赤坂のほうを見ていた。
1人、2人、3人、4人……。時間を忘れ、行き交う人を数える。のちに街のシンボルとなるテレビ局や商業施設の高層ビルは、まだ影も形もなかったころだが、官邸や国会議事堂にも近い東京のど真ん中。人は絶えない。飲食店の看板に明かりがともるころになると、街はますます活気づいてきた。
「よしっ」
梅本さんが、赤坂でセブン-イレブンを営む決心をした瞬間だった。
「早期退職して上京してきた時、セブン-イレブンをやるとは考えてもなかったですけどね」
長崎県で生まれ育った。商売を営んでいた両親の影響もあり、地元の百貨店で働いた。人とふれあう外商が性に合い、仕事も家庭も順調だった。
だが、世は移ろう。50歳目前の時だ。町に大型ショッピングセンターの進出が決まり、百貨店を取り巻く環境は厳しさを増していくことが想像できた。
ここで終わってなるものか──。商人魂が、頭をもたげたのだろう。梅本さんは、新しい職を探そうと思い始めた。息子が就職し、娘も大学卒業まであと1年と、子育てがひと段落したタイミングだったことも、新たな一歩を踏み出す原動力になった。いくつになっても、チャレンジし続けたい。
「ふたりで食べていけたらそれでいい」
ひとつ年下の妻・弘子さんと思いを合わせ、東京を目指した。
別段、あてがあったわけではない。学生時代に4年間暮らしたことがあるだけで、東京の右も左もわからなかった。
「都会に行けば、なんとかなるだろうと思っていたんです」
人生、無欲だからこそ、ふとした縁で道が開けることがある。
「こんなのどう?」
とセブン-イレブンのオーナー募集説明会を見つけてきたのは弘子さんだった。
「両親が商売をやっていたので、妻はなんとなく勧めたのかも。話を聞くだけ行ってみるか、そんな感じでした」
縁が縁を呼び、本部から候補としていくつかの店舗を紹介された。それが冒頭の、"視察"につながったわけだ。
「振り返ると、いきなり都会の真ん中で店をやろうなんて、よく決心したなと思います。東京を知らなかったことが幸いしたんでしょうね。都心ならばお客さまは多いようだし、大丈夫だと直感した。とにかく、進むことしか考えていなかった」
楽観的な気持ちで加盟したのではない。知らない街でセブン-イレブンの看板をあげる重責を、夫婦でとことん話し合った。悩みもした。そんな中、学生時代にコンビニでアルバイトをした経験を持つ息子が「やったらいいんじゃない?」と、言ったひとことに背中を押された。さらに、当時学生だった娘の奈津子さん(39)が、店を手伝ってくれるという。もう迷わない。
「家族で力を合わせていこう」
2003年7月1日、「セブン-イレブン赤坂2丁目店」がオープンした。
「こんにちは、いらっしゃいませ」
梅本さんをはじめ、弘子さん、奈津子さんらの丁寧な接客が店を盛り上げ、経営は順調だった。折しも港区・赤坂は都市開発計画の真っただ中。人もビジネスも集まった。街じゅうが勢いづいていた。
だが、周囲に事業所が多いのは、地元住人が少ないということ。生活圏で働きたいと考えるアルバイトやパートさんが集まりにくい立地だ。困った。
「最初の数カ月間は人手が足りず、ほとほと疲れてしまって。妻に一度だけ、弱音を吐いたことがあります。こんな商売、始めるんじゃなかったと」
その時、弘子さんが言った言葉が、今でも梅本さんが突き進む"オーナー道"の指針のひとつになっている。
「オーナーがお店で暗い顔してちゃ、従業員さん、みんなついてこないわよ」
はっとした。自分の仕事は、お客さまがまた来たいと思うフレンドリーな雰囲気の店をつくること、従業員が明るく働ける職場環境を整えること。どんな時も、基本を忘れちゃだめだ。以来、梅本さんは弱音を口にすることをやめた。
窮地に立ち向かい、乗り越えてこそ商売。梅本さんは、精力的に動いた。近くに日本語学校があることを聞きつけ、学生アルバイト募集の依頼に何度も足を運んだ。今でこそ、小売業に就く外国人は多いが、当時は語学力や手厚い接客が問われる商いの現場に、多くの外国人従業員を起用するケースは珍しかったという。
「正直言うと、従業員さんの国籍を気にする余裕はなかった。必死でした」
中国、ネパール、ウズベキスタン……、言葉から生活習慣まで、まったく違う彼らと日々向き合った。「笑顔で接してもらえるとうれしい。お客さまも同じだよね?」「間違ったら、すみませんと口にするのが日本のマナーだよ」などと、「なぜやるのか」を一つずつ説明し、敬語などの日本の文化もゼロから教える。覚えられなくても叱らない。
「外国人の従業員さんを育てるには、秘訣がある。根気と辛抱。それが大事」
梅本さんは断言するが、この考えに至るまで「数年かかった」とも言う。
当初は巷に流れる良くないニュースに感化され、外国人従業員たちを信じ切れない自分がいた。一方で、相手を信じなければ、こちらも信頼されないことはわかっている。小さな葛藤があった。
ある日、梅本さんが夜勤に入ろうとすると、中国人の女性従業員が申し出てきたという。
「オーナーは休んでください。私たちが頑張りますから」
胸を打たれた。人を思いやる気持ちに国境はない。梅本さんは従業員と心をひとつに、歩んでいこうと決めた。
店を任されている李さん(左)とスマンさんはともに29歳、妻子もいる。
ふたりとも「梅本オーナーのような経営者になりたい」と意欲的だ
今──。赤坂の街には高層ビルが立ち並び、ますますにぎわっている。
平日の昼下がり、赤坂2丁目店を訪れると、中は人、人、人……。セブンカフェマシンの前で、コーヒーの出来上がりを待つ男性客同士がスペイン語で話し、サンドイッチ売り場ではワイシャツ姿のグループが、英語で品定めをしていた。
16年から店長を務める中国人の李述強さん(29)によると、近くにたくさん外資系企業や飲食店があるため「外国人のお客さまがとても多い」という。驚くにはまだ早い。現在、店で働く従業員20人中全員が外国人だそうだ。
「従業員さんたちとよく話し合い、明るいお店を作っていきたいです」
と、李さんは流暢な日本語で話す。そんな彼の対応をそばで見ていた梅本さんは、ちょっと誇らしげだ。
そして、当初から多店舗経営を目指してきた梅本さんは有言実行。09年に2号店の港区南青山2丁目店を、14年に3号店の西麻布3丁目六本木通り店をオープンさせた。2号店は娘婿の今関哲史さん(40)、3号店はネパール人のナガルコティ スマンさん(29)が店長に就いている。両店とも従業員のほぼ全員が外国人だが、常連客が多く、経営は安定しているそうだ。梅本さんは言う。
「従業員を信頼して任せる。この『任せる勇気』を持たないと、マネジメントはできません」
任せっぷりは、感服するほど徹底的だ。アルバイト希望者の採用、教育、そして売り場の変更、仕入れ、毎日の売り上げ日報の作成、入金など「全部、店長に任せている」という。
毎月第1金曜日には、本部地区担当OFC(店舗経営相談員)の小松礼門さん(28)にも参加してもらい、店長ミーティングを開く。
「マネジメント感覚を養ってほしいから、毎月、財務諸表の数値も開示します」
梅本さんが3人の店長にここまで信頼を寄せるのは「自分の仕事は人を育てること」と考えているからだ。
セブン-イレブンに加盟して、多くの人に出会った。助け合い、支えてもらった。とくに故郷を離れ、日本で働く外国人従業員たちの健気さにふれるにつれ、彼らを応援したいと思うようになったという。
決して、きれいごとばかりじゃなかった。時間をかけて育てた外国人従業員さんに裏切られたこともある。
「だけど、私は性善説を信じたい。人として相手を信頼すれば、彼らも心を開いて成長してくれる、そう思っています」
梅本さんは広い心で一人ひとりを見ている。実際、15年から店長になったスマンさんは「自分を信頼して育ててくれたオーナーさんの期待に応えたい」と、きっぱり言った。梅本さんのもとで経営を学び、母国で起業するのが夢だ。
「帰国する者もいれば、日本に根を張り、独立を目指す者もいる。さまざまな国の若者の夢の手助けができる。セブン-イレブンのオーナーという仕事に、大きなやりがいを感じます」
と、梅本さんはしみじみと話す。50歳で選んだ商いの道は、家族の愛とたくさんの人に恵まれ充実していた。
「元気なうちに、もっと挑戦したい」
運をつかむのも、縁を呼ぶのも心次第──。前向きな梅本さんを慕い、今日も店に人の輪ができた。
SHOP DATA
セブン–イレブン赤坂2丁目店
住所
東京都港区赤坂2丁目13-1
特徴
2003年7月1日オープン。
外国人従業員が活躍する活気あふれる店