若かりし、デニーズ勤務時代の長谷川さん。店長を任された経験が今に生きている
東京・新宿から京王線で40分足らず。北野駅から車で数分の「セブン-イレブン八王子長沼町店」に着いたとたん、そのロケーションに驚いた。
都道が交差する角地。交通量は多いが、隣に巨大な看板を掲げるスーパーがある。苦戦を強いられているのでは──と尋ねてみると、オーナーの長谷川格さん(59)は「スーパーさんとは、ウィンウィンの関係ですよ」と涼しい顔だ。隣に用があっても「食品はセブン-イレブンで買おう」などと、お客さまのほうが使い分けてくれているという。
「毎日普通に商売をしていればいい。コンビニっていい仕事だなぁ、って思いますよ」
昨今、人手不足など課題への対応を急ぐコンビニ業界で「コンビニっていいですよ」と、ほほ笑んだオーナーの言葉が印象的だった。
長谷川さんがオーナーになったのは48歳のころ。まだ幼かった一人娘の将来を考え、「定年のないコンビニ経営を始めようと思った」と言う。
マネジメントの心得はあった。大学を卒業してからデニーズ(現セブン&アイ・フードシステムズ)に入社。東京や神奈川の店舗の店長、エリアマネジャー、販売促進や社員教育など、多岐にわたる業務に携わった経験を持つ。
デニーズに進んだ理由は、若いうちから店長として店の運営を任せてもらえ、マネジメント力を養うことができるから。ズバリ、「組織の歯車になる仕事に就くのは嫌だった」そうだ。
おそらく若いころから、いつかは独立をと考えていただろう。45歳で早期退職した時も、「学びたいことは吸収できた」と、ためらいはなかった。ただ退職したあと、コンビニオーナーになるとは思っていなかった。
「これまでと畑の違う職種に就きましたが、続かなかったですね。それで家内と相談して『コンビニをやろうか』となったわけです。夫婦ふたりとも、接客には慣れていましたから」
妻の典子さん(53)とは、デニーズ時代に職場結婚した。接客に慣れているどころか、ふたりともプロだ。
「それに、コンビニの仕事なら転勤がないので自分の『居場所』ができる。オーナーになったのには、そんな動機もありました」
コンビニといえば、古巣のセブン&アイグループの、セブン-イレブンしかないと思った。コツコツと仕事をするグループの"真面目な社風"に、昔から好感を持っていたという。
「コンビニ業界トップチェーンのセブンだし、難なくやっていけるだろうと思っていたんですね」
2008年、東京都郊外の大学キャンパス前に店をオープンさせた。
ところが、初めから順調にはいかなかった。理由はすぐにわかった。
「私の認識が甘かったんでしょう。何かあれば、本部が面倒を見てくれるだろうという思い込みがありました。店の運営はすべて自分の責任なんですよね」
本部が店をサポートするといっても、現場を動かすのはオーナーだ。自分がどんな店にしたいか、何をすればいいか、一つひとつ徹底的に考えなくては、思うようには動かない。
大学の近くなら住民に加えて学生たちが来店するので、売り上げは増えると読んでいた。だがフタを開けてみると、まったく違った。
「朝や昼食時は学生さんで混み合うけれど、夜はさっぱり。また学生さんの1人当たりの客単価は低いため、来店数は多くても売り上げが伸び悩む悪循環でした。やってみないとわからないものですね」
業績が悪くても、もう自分一人の店ではない。自分が辞めてしまえば、常連になってくれたお客さま、働きたいと集まってくれた従業員さんに申し訳が立たない。
「もうね、タケノコ生活でしたよ」と苦笑するほど、厳しい時期だった。
だが「いいことも、たくさんありましたよ」と話す。
「お客さまの少ない時間に、従業員さんたちとしっかり向き合うことができました。かっこいい言い方をすれば、厳しい状況を共有して、絆を深めたというのかな。私もオーナーとして、勉強させてもらいました」
接客の勘どころはあっても、コンビニはデニーズのように「かしこまりました」といった敬語が飛び交う店じゃない。カジュアルだ。気持ちの入れ替えが必要だった。学生から主婦まで、さまざまな従業員と深く関わることで"店のおやじ"であるコンビニオーナーの顔になれたという。
オープン時から、夫と共に店に出ていた典子さんも、当時のことをよく覚えている。
「娘が通う幼稚園のママ友が夜のシフトに入ってくれたりして、困った時はいつも誰かが助けてくれました。みなさんに、感謝しかないですよ」
典子さんは、そう語った。
売り場に出る前、接客の心構えを唱える朝礼を欠かさない。左から長谷川さん、浮地辰雄さん、
内田千絵さん、齋藤さと子さん、植松留美子さん、栗本智子さん
7年後、いよいよ長谷川さんは新しい店への移転を決意した。コンビニ経営の厳しさを知った時間としては長かったろうが、次へステップアップする準備期間と思えば、人生、何事も無駄なことはない。16年、セブン-イレブン八王子長沼町店をオープンさせた。
元の店から新しい店まで車で30分ほどかかるため、長谷川さんは断腸の思いで従業員さんたちに"解散"を申し出たという。
「通うのに時間がかかりますから、強く引き留めることはできなかったんです」
それでも今、従業員の「1期生」ともいえる数人が売り場に入っている。"十年選手"のパートさんたちは、なぜ辞めずに遠くから通勤しているのか?
「みなさんと一緒に働くのが楽しくて、辞めたくなかった」(齋藤さと子さん)
「オーナーが働きやすい環境をつくってくださる。仕事を任せてもらえるし、楽しいんです」(平林礼子さん)
従業員の働き方を尊重するため、きちんと労務契約を交わし、そのうえで長谷川さんは「陳列棚を工夫したい」「掃除用のブラシがあれば便利」といった小さな声にも耳を傾ける。あるパートさんいわく「提案すれば、オーナーはすぐに対応してくれる」そうだ。店で働く理由を「楽しいから」という従業員が、こうも多いとは。
そんな現場の声を長谷川さんに伝えると、「ありがたいですね。本当にいいメンバーがそろってくれたと思っています」と、うれしそうだ。
店内を回ってみると、どの棚にも商品がぎっしりと並んでいた。クッキーの袋を棚にすき間なく並べていた典子さんは、改めて店を移転してよかったと話す。
「いろんなお客さまが来てくださるので、やりがいがあるんです」
売り場づくりは長谷川さんの妻・典子さん(左)の担当。「働きやすい職場です」と話す赤川千賀子さんと一緒に夕方のピークに備える
八王子長沼町店は、近くに団地あり、工場あり、卸売市場ありと、幅広い客層が見込める立地だ。以前は若者向けの品ぞろえに徹していたが、今は子どもからシニアまで、さまざまな客層に向けた商品を品ぞろえできるようになった。朝から深夜まで客足が絶えないため、売り場づくりに長けた典子さんの手腕が生きる。
店の忙しさは、ふだんから段取り上手なパートさんたちにとっても、心地いいらしい。2年ほど前に求人広告を見て入った栗本智子さんは、「50代の私にコンビニの仕事が務まるかなと不安でしたが、みなさん、元気。和気あいあいと、部活のような感じで働いています」と話す。
こう何度も楽しい、楽しいと言われると、つい疑いたくなるものだが、「あれどうする?」「これ持ってくね」などと、「あれ」「これ」「それ」で話が通じ合っているパートさんたちのフットワークの軽さを見ているうちに、こちらが楽しくなってきた。
どうすれば、ここまでチームワークのいい店ができるのだろう──長谷川さんは「普通にやっていれば、それでいいんですよ」と話した。
たびたび「普通」という言葉を使った長谷川さん。将来の目標を尋ねても「この店のいい雰囲気を維持して、普通に生活できれば十分」としか言わない。だが、真意は奥深い。長谷川さんは、普通にやるべきことをやらない風潮を憂う。
「間違ったら『ごめんなさい』、助けてもらったら『ありがとう』。これ、普通ですよね。自分の店の『人』を大切にして、働きやすい環境を整えるのだって、経営者としては普通。普通のことをやっていれば、深刻な人手不足にはならないし、売り場だって、いつも普通に商品があれば、お客さまは買ってくださる。コンビニの仕事って、特別なことではないと思います」
やるべきことをやる。長谷川さんの誠実さに、従業員やパートさんは信頼を寄せるのだ。そう伝えると「私が頼りない分、従業員さんがしっかりしているんですよ」と、長谷川さんは笑った。
最近は、しっかり者の"仲間"に支えられ、少し時間に余裕ができたそうだ。
「今、店に入るのは週2回。山梨の高校の寮に入っている、娘のサッカーを応援するのが楽しみ」と典子さんが言えば、「休日や仕事のあとに、津軽三味線を習い出しました。老人ホームに慰問に行くのが夢」と長谷川さん。夢の実現は、そう遠くない。
SHOP DATA
セブン-イレブン八王子長沼町店
住所
東京都八王子市長沼町1305-11
特徴
2016年9月1日オープン。
オーナーを中心に、従業員のチームワークが抜群の店だ