孫たちとの旅行の記念に描いてもらったイラストは、中村夫妻のお気に入りだという
路面電車が行き交う熊本市街のほぼ中央。昼下がりの「セブン-イレブン熊本新屋敷店」は、お客さまとの会話でにぎわっていた。ひときわ明るく接客にあたっていたのが、オーナーの中村光彦さん(52)だ。気さくな話しぶりに、誰もが笑顔になる。
「この店は特段、立地がいいわけではないので、来てくださるお客さま、頑張ってくれる従業員さんに感謝しかない。私も頑張らんと!」
街道に面しているものの街の中心地ということもあり、周囲に高いビルもあるため、遠くからは看板が見えにくい。それらを昔は欠点だと思ったが、お客さまと向き合い、信頼関係を築くことができれば、商売は成り立つと教えてくれたのがこの店だ。
30歳の時、妻と小学生だったふたりの子どもたちの将来を考えて、「稼いで家族みんなを幸せにする」と、セブン-イレブンに加盟した。新たな人生の始まりだった。
「加盟する前は、正直、セブン-イレブンに特別良いイメージはなかったんですよ」
歯に衣着せぬ発言が、光彦さんのまっすぐな人柄を物語る。
中学校の同級生だった裕子さん(52)と結婚したのは20歳の時。酒類のルート販売業で生計を立ててきたが経済的に余裕がなく、何か商売を始めようと考えた。その時、魅力を感じたのが「24時間営業ができて、昼夜問わずお客さまがやってくる」コンビニ経営だった。
「いろんなチェーンの加盟説明会に参加しました。でも得意先などで、『セブン-イレブンと新規取引を始めるのはハードルが高い』と有名だったため、『固い会社だな』と思い込んで、敬遠していたんです」
だが、知り合いのセブン-イレブンオーナーに会って心が動いた。加盟後の感想を聞いてみると「不満はない」ときっぱり。
そして、何といっても光彦さんが加盟を決めた決定打は「おせち」だと言う。ある場で試食したオリジナルの「おせち」の味にびっくりした。
「本当においしくて、セブン-イレブンの商品力ってハンパないなと。これなら自信を持って売れる、やっていけると、スイッチが入りました」
即、動いた。30歳で独立するという宣言どおり、1997年12月に熊本県八代市に開店。すべてが順調だった。しかし、思い通りにはいかないのが商売だ。
「海に近い郊外の店でしたが、国道沿いだし、酒店に隣接していたし、数年間は踏ん張れたんです。でも、どうにもならん時が来て……」
オープンして1年も経たずに他のチェーンが進出、それでも予約販売に力を注ぐなど戦術を考え、エリアでトップクラスの売り上げをキープした。だが2005年に無料の高速道路ができてから車の流れが大きく変わり、売り上げが伸び悩んだ。客がほとんど来ない。追い詰められた。
「自暴自棄になりかけました。でも家族や従業員さんの顔が浮かんで、考え直しました。死ぬ気でやれば何でもできると」
当時、光彦さんがここまで切羽詰まった心境だったことは、妻の裕子さんも知らなかったそうだ。
「でも決めたらやる人ですから、ついていく覚悟はできていました」
裕子さんの言葉通り、光彦さんは打って出た。06年に熊本市内へ店を移転。それが熊本新屋敷店だ。熊本城にも近く、住宅や事業所が多い立地は商売に適しているように思うが、「これがまた、初めのうちはお客さまが来んかった」と、光彦さんは苦笑いする。
「商売を続けられることがうれしくて、落ち込んでいる暇はなかった。お客さまが来んかったら、こっちから行けばいい」
光彦さんの気合に従業員も奮起、近隣のオフィスの方に商品をお薦めする「御用聞き」に飛び回った。単にビルの玄関先に伺うだけではなく、お客さまと信頼関係をしっかり築き、オフィスの中まで行くのが流儀だ。その熱意に一軒、また一軒と、御用聞きを待つ企業が現れた。副次的な効果で顔なじみのお客さまが増え、通勤タイムの来店客数も伸びた。
そのころからだ。2号店、3号店と店舗を開店し、事業を拡大するチャンスが訪れるようになった。
「明るい店づくりを心掛けています」と熊本新屋敷店の店長、那須勇一郎さん(31)
閉店の挫折を乗り越えて、新天地で繁盛店をつくり上げた光彦さん。今では、「中村一家」で10店舗を運営するまでになった。
「子どもたちだけでなく、従業員さんの中にもオーナーとして巣立っていった人がいる。うちで働いて、幸せになってくれたのが一番うれしい」
光彦さんは満足げだ。家族でいえば、長女の唯さん(32)が12年、長男の大紀さん(30)が13年に独立、それぞれが2店舗、3店舗と自分の店の切り盛りに奮闘中だ。
ふたりに話を聞いてみると「父親に言われたわけではなく、自然な流れで独立した」と言う。昨今、後継者に悩むオーナーが少なくない中、どんな育て方をすれば、次世代が率先して商売の道を選ぶのだろう。光彦さんは、少し照れながら言う。
「子どもたちにしろ、従業員さんにしろ、オーナーが輝いているところを見せるしかない」
それを裏づけるように、唯さんは「一度、他の仕事に就きましたが、セブン-イレブンのほうが楽しそうだと思って加盟しました」と話し、大紀さんも「私は父親のように一直線に突き進む性分ではありませんが、暮らしを支える店はやりがいがある」と、笑顔を見せた。
店の経営にもがいても、前向きな姿勢があれば、周囲は好感を抱くものだ。光彦さん、そして支える裕子さんが努力した姿を、子どもたちは見ていたに違いない。近いうち、大紀さんは4店舗目を出店したいという。
「家族や従業員さんと一緒に、もっと地元を盛り上げていくからね!」
光彦さんたちは、常に上を見る。
商品を積み、近隣の企業へ「御用聞き」に向かう姜香春(キョウ・コウシュン)さん(41・左)と
前畑由香さん(54)。多くのお客さまが、買い物を楽しみにしてくれているのが励みだ
地元を活性化したいという考えは、16年4月に起きた熊本地震と無縁ではない。2度も起きた震度7の大きな揺れは、街のシンボル・熊本城を崩し、人々の日常を奪った。当時、光彦さんらが運営していた店は7店舗。どの売り場も壊滅的だったが、水や食品などを求めに来るお客さまのために、店を開け続けた。
「周囲のベテランオーナーさんたちもそうだったように、何があっても店を閉めないのが商売人。そして、その地で商売させていただいている店の使命なんだと思い知りました。本部から応援が来てくれて、パワーが出ましたよ」
熊本地震のあと、本部は多数の人員を被災地に派遣した。光彦さんは「自分も疲れているのに『代わりますから休んでください』と、従業員さんたちを家に帰してくれた本部のみなさんへの恩義は忘れない」と振り返る。
その後、一層「商売は人」という意識が強くなった。有事だけでなく、他のオーナーの新店オープン時は手助けに行ったり、後進のオーナーの相談に乗ったり、じっとしてはいられない。数年前からは、加盟店共済会の理事も務める。
「コンビニは個人商店ですが、同じ看板を掲げるオーナーさんは仲間でしょう。助け合って当然」
そう考えるようになった。
着実にキャリアを積み、店舗数を増やす光彦さんだが「これからは原点に立ち戻り、基本を徹底して頑張っていきたい」と言う。
もちろん、一層実力をつけて「年商を大きく伸ばす」という目標を達成するのが第一だ。だが、昨今増えたコンビニ業界に対するマイナスイメージをなんとか払拭したい。
「人手不足、24時間営業問題など、さまざまなニュースが流れているのが歯がゆい。オーナーさんたちは誠実に頑張っているのに。でもここで腐って道を外しちゃいけない。やるべきことをやっていれば、お客さまはついてきてくださる」
業界最大手のセブン-イレブンは、何かと世間の注目を集めがちだ。だからこそ、自ら襟を正す。また本部も加盟店も、若い社員や従業員に、もっと丁寧に商売の厳しさや醍醐味を教えるべきではと問題提起する。
「エラそうに聞こえるかもしれませんが、私はセブン-イレブンを信じているし、人生の恩人だと思っています。だから、よくしたい。オーナーさんの中で、同じ気持ちの方は多いと思いますよ」
“セブン愛”に満ちた視点で未来を見据える光彦さんの言葉は、重く、やさしい。6人の孫を持つ“じいじ”になってなお、猪突猛進、商売人魂は燃えている。
SHOP DATA
セブン-イレブン熊本新屋敷店
住所
熊本県熊本市中央区新屋敷1-5-22
特徴
2006年2月28日、1997年に開店した前店から移転オープン。
近隣に訪問販売に出向くなど独自の戦略で成長、
現在は家族で10店舗を経営