孫の誕生日、久々に家族で食事へ。妻・由美子さん(前列中央)の内助の功に感謝(2017年、神戸市で撮影)
兵庫県のJR明石駅からすぐ近く。築400年を数える明石城を横目に歩くと、「セブン-イレブン明石山下町店」の看板が見えてきた。駅前の幹線道路から少し奥まった住宅街の角地だ。土地勘のない"一見さん"なら、ちょっと道に迷ってしまうかもしれない。だが、店の駐車場は軽トラックや乗用車でいっぱいだった。
空いたスペースに、オーナーの児島衛さん(59)が運転するセブン-イレブンの配達専用小型電気自動車が戻ってきた。「毎日、数件の配達があるんです」と、衛さんは慌ただしく動き回る。店内では、衛さんの長女でマネージャーを務める美穂さん(34)が、早くも次に配達する商品の準備中だ。案の定、常連客が多い店なんだな、そう感じた。
30年間、地元企業の経理総務畑で働いてきた衛さんが脱サラして、セブン-イレブンに加盟したのは、2010年のことだ。
「自分で商売をしたいと考えていて、ゼロから立ち上げるよりも、コンビニチェーンに加盟したほうが心強いと思ったのがきっかけです。どうせやるなら、トップチェーンのセブン-イレブンがええやろと」
そんな衛さんの相棒となったのは、妻・由美子さん(58)の弟、宮永忠夫さん(56)だった。帳簿は今も手書きという几帳面な衛さんと「人が好き」と社交的な宮永さん。異なる性格の2人が、なぜ同時期に脱サラしたのか。
宮永さんによると、「オーナーとのつきあいは、18歳のころから。会社を辞める数年前から一緒に商売をやろうと言い続けられていた」そうだ。実は宮永さん、「コンビニなんてしんどいだけや」と衛さんの誘いを断ってきた。それがたまたま転職したいと思い立った時期が重なり、ついに「一蓮托生でやっていこな」と奮起する衛さんに賛同したという。つきあいの長さといい、本当の兄弟のようだ。
「会社を辞めてセブン-イレブンをやるで」──この決断が、衛さんの娘たちも巻き込み、のちに3店舗が関わるファミリー経営へとつながっていくとは、当初は誰も思っていなかった。
だが、衛さんは言い続けていた。
「いつかは複数店をやるくらい、高い目標を掲げてやらなあかんで」
その夢に乗り、宮永さんはじめ、長女の美穂さんも、次女の遥さん(30)も、連日交代で店に出たという。今だから明かすと、姉妹は父の厳格な性格を知っているので「接客なんてできるんかな」と内心思っていたそうだ。だから自然と支える気になったのだろう。やさしい娘さんたちだ。
ところが、いざ店を構えると「初めはまったくと言っていいほど、お客さまに来ていただけなかった」と、衛さんは振り返る。理由は、冒頭で少しふれた立地だった。
「通りから奥まっているんで、新しく店ができたと気づいてもらえんかった。どうしたらええんやろ。宮永さんや娘たち、従業員さんたちと知恵を出し合いました」
お客さまに店がオープンしたことを知ってもらわなくては。衛さんたちは、人海戦術に打って出た。ある者は明石駅前でオープン告知のビラを配り、またある者は国道沿いに「セブン-イレブンできました」と書いた大きな紙を抱えて立ち続けた。「配達します」とチラシをまいたのも、このころだ。
「少しでも便利に使っていただけたら、お店の良さをわかっていただけるんちゃうか。その一心で配達を始めたんです」
店の裏手は急な坂道が続く。急斜面に軒を連ねる住宅も多く、ちょっとした買い物に出向くには不便を感じる時もあるだろう。その読みどおり「届けてくれはるの?」と、店へ問い合わせが入るようになり、一軒また一軒と得意先ができた。
並行して、「セブン-イレブンができました」と、周知して回った従業員らの努力が実り、常連客も増えてきた。吹いた追い風は収まらない。2013年から始まった駅前の再開発工事の影響もあり、明石山下町店に客が一気に流れてきた。
「11年の年明け、来店客数は苦戦していたが、13年には客数が約2倍になった。繁盛している時の忙しさって、こんな感じなんやなぁって、従業員さんたちと話したのを覚えています」
1日の売り上げ、来店客数、客単価、イベント……11年1月から、毎朝欠かさず店の様子を記録している3冊のファイルを広げてもらうと、手書きの数字の変化から売り場の活気が伝わってきた。
左から浜田裕介さん(明石荷山町店オーナー)、遥さん(浜田さんの妻)、
宮永忠夫さん(明石太寺天王町店店長)。衛さんを支える、心強いファミリーだ
繁盛した15年以降、チャンスとピンチが相次いでやってきた。
「複数店をやるという夢がかないました」
店から車で5分ほどの「セブン-イレブン明石太寺天王町店」だ。配達を重ねる中、太寺エリアにお客さまが多いと感じていたことから「いつかはあの方面に店を持ちたい」と、衛さんは公言していたという。
念願の店は、同年7月にオープン。明石山下町店で、ずっと深夜の売り場を守っていた宮永さんが店長に就いた。
「昼間の売り場は、新しく覚える仕事が多くて戸惑いました。でも基本、人が好きなんで、楽しいです」
と、宮永さんは笑う。深夜の時間帯の作業を体で覚えていた宮永さんにとってシフト変更は、まさに目の覚める出来事だった。しかも、店長という重責だ。「楽しい」という実感がなければ、続かない。
2号店がオープン後、しばらくして次女の夫である浜田裕介さん(37)が独立してオーナーとなり、同年10月、「セブン-イレブン明石荷山町店」がオープンした。
「近くに頑張っている2人の大先輩がいますから、自分も走り続けるだけです」
と、浜田さんも前向きだ。気づけばなんと、衛さんを司令塔に、義弟、娘たち、娘婿と全員で地域の暮らしを支える"セブン-イレブン一家"になっていた。周囲からも注目が集まる。だが明るいニュースは続かなかった。駅の再開発が終わり、客足が鈍る厳しい時期が近づいていた。
16年、駅の再開発工事が終わると、思った通り売り上げが下がり始めた。周囲に競合店が増えたうえ、複数店を運営するための人手不足がこたえるようにもなった。
「2号店で頑張ってくれとる宮永さんのためにも、明石山下町店が元気にならんと。何とかせなあかん、って考えていました」
その様子を見て、あえて厳しい話をしたのは本部加古川地区担当のOFC(店舗経営相談員)の河本貴大さん(38)だった。こう告げたという。
「几帳面で決めたことはやり切る人」と、衛さんについて話す長女・美穂さん。マネージャーとして明石山下町店を盛り上げる
「お客さまの立場で売り場を見ると、このお店はいつも商品が少ないって感じます。いっぺん売り場を見直しましょう」
折しも衛さんは地区の勉強会に参加し、商品が整然と並んだ他店の売り場に刺激を受けた。自身の店の周辺は住宅街だが、小学校も近く、来店を見込めるお客さまは、お子さまから高齢の方までと幅広い。もっと多くにご来店いただくには、どのような売り場をつくったらいいのか──そう考えていた時の河本さんの小さなひと言が、大きな気づきへとつながった。
一品一品じっくり精査して品ぞろえを充実させ、同時に従業員も巻き込んだ。取り組みを共有し、また自分自身の意識を高めるため、あえて商品が少なくなった状態の売り場の写真を事務所に貼って"見える化"し、「こうなったらあかん」と、意識改革を呼びかけたという。
「先日、筆ペンを探して来られたお客さまが『やっぱりあった』と喜んで購入された。品ぞろえがいい店やと認識してくださってたんやと、うれしかったですね」
と、衛さん。店の小さな変化を見ていてくださるお客さまがいる。売り上げも改善していった。
コンビニ経営を始めて9年。「来年、還暦です」と言う衛さんは商売に家族を巻き込んでしまったのではないか、人生これでよかったのかと自問することが増えた。
曲がったことが大嫌い。店での態度が少しでもなっていないと、昔は売り場で家族や従業員を叱りつけたこともある。
「時代が変わったので今はやさしく接しているつもりですが、みんなに幸せになってほしいからやいやい言うてしまう」
特に学生のアルバイトは放っておけない。「単位足りてるか?」「身だしなみは大切やで」……学校では学べない社会の厳しさを教えてやりたい。
「店の売り上げを伸ばすことはもちろんですが、みなさんのおかげで生活させてもらっている以上、これから『人を育てる』ことで、社会に貢献できへんかなと考えているんです」
と、衛さん。店のオープン時からパートに入るリーダーの西田由美子さん(52)は、高校1年の息子にも店でバイトをするよう勧めた。西田さんはこう話す。
「人間味あるオーナーに教育していただきたいし、コンビニの仕事を通じて、社会とつながる大切さを学んでほしいと思って」
店が地域と共存するには、パートを含めた住民に信頼されることが必須だ。誠実な衛さんとともに四六時中、店を支えてきた"ファミリー"の頑張りを、多くが知っている。だから、店に人が集まる。
最後に、衛さんに代わって家族のみなさんに、本音を聞いてみた。
「一度くらい、店を辞めたいと思ったこともありますよね?」
宮永さんが即座に答えた。「一度もないです」。美穂さんも遥さんも浜田さんも「ありません」。衛さんは「よかった」と安堵の笑みだ。続く道は険しくても家族と一緒なら、きっと歩んでいける。
SHOP DATA
セブン-イレブン明石山下町店
住所
兵庫県明石市山下町7-10
特徴
2010年11月26日オープン。配達にも力を注ぎ、
2号店のセブン-イレブン明石太寺天王町店とともに
地域に根ざす