従業員らと温泉旅行へ。前列右から2番目が恵さんの母・泰子さん(2017年夏、大分県の湯布院で)
店に入ると、温かい雰囲気に包まれた。パートさんと常連客らしいシニア女性との楽しそうな笑い声、従業員同士が声をかけあい、手際よく商品を並べている
──賑やかな店だな。それが福岡県朝倉市、国道386号線バイパス沿いにある「セブン-イレブン甘木柿原店」の第一印象だった。
店を訪れていた本部・久留米地区担当のOFC(店舗経営相談員)の方寧さんは、「ここは、何事もオーナーさんと従業員さんが一丸となって取り組む、パワフルなお店ですよ」と言う。
売り場の奥の事務所から、オーナーの森田恵さん(50)が現れた。
「さぁ、頑張るけんね!」
ひと言で売り場が一層、活気づいた。
笑顔がトレードマークの恵さん、50歳にしてセブン-イレブンで働く"セブン歴"は、35年以上にもなる。
スタートは1982年。現在の店から離れた甘木駅前で、営んでいた家業の酒屋をセブン-イレブンへ転換。両親と店舗の2階で暮らしたという。
当時、恵さんはまだ13歳。商売人の父の英断で時代の波に乗っていたコンビニ経営を始めたことに、何の疑問も持たなかっただろう。だが、状況は急変した。
「15歳の時に父が病気で他界して、母がオーナーになったんです」
中学3年生の時だ。将来の夢は、たくさんあったに違いない。しかし「食べていくため」と、母・泰子さん(77)と一緒に働く道を選んだ。高校卒業後、店長となり、本格的に店の運営に関わるようになってゆく。
「あの時は本当に苦労しましたよ」
持ち前の明るさでさらりと言うが、父亡きあと、母娘で店を切り盛りした日々は厳しいものだった。
「最初はまずまずだったんですが、すぐに競合店ができて売り上げはがた落ち。悪くなる一方で……」
それでも踏ん張った。恵さんが28歳の時に本部との契約を更新、古くなった店舗を新しくしようと、思い切って家ごと建て替えた。多額の借金を抱えても、売り上げは伸びるはず、だった。
「それでも、状況は変わりませんでしたね。店の条件もよくなかった」
駐車場がなく、近所にタバコ屋があったため、タバコ販売の免許も下りなかった。毎月、入るより出ていくお金が多くなった。「借金が雪だるま式に増えていった」と、恵さんは明かし、「頭に何個も円形脱毛症ができるほど、どうしようってつらかった」と、振り返る。
唯一頼りだったのは、当時の地区担当のOFCだ。高校卒業後、セブン-イレブン一筋だった恵さん。だから「頼れる人は、OFCさんしかおらんもん」と、何でも相談してきた。
知恵を絞っても、売り上げは改善しない。気丈に振る舞う母の姿を見るのも心が痛い。落ち込みがひどかった恵さんは、ある日、店の実情を知るOFCに言った。
「私の立場だったら、どうします? OFCさんだって、落ち込むでしょ?」
その時、OFCが言った言葉が恵さんを変えた。
「落ち込んでる暇はないですよ」
突き放したのでもなく、気休めに励ましたのでもない、的確なアドバイス。恵さんは言う。
「そうや、落ち込んでる暇はないったい!って、気持ちを入れ替えることができた。あの時の言葉が、心に響きました」
その日から、恵さんは以前にも増して笑顔で店に立つようになった。笑顔の力は絶大だ。場を和ませ、人を呼ぶ。運も引き寄せたのかもしれない。
「前々から店の移転先を探していたんですが、近くにバイパスができる場所があると聞いて、移る決心をしました。自宅から通勤することになるんですが、やるしかないという気になっていましたから」
その移転先が、冒頭の「甘木柿原店」だ。母と娘の決断で"セブン-イレブン物語・第2章"ともいうべき、新しい仲間たちとの店づくりが始まった。
「お客さまにご満足いただける売り場づくりを心がけています」と日裏文子さん
2005年2月、広い駐車場を備えたセブン-イレブン甘木柿原店がオープンした。パートやアルバイト希望者は多く、にらんだ通り、客足もいい。
「売り上げがびっくりするほど伸びて、移転してよかった」
だが、いい時期は長くは続かないものだ。店舗周辺の環境変化もあり、売り上げの伸びにブレーキがかかった。もうひとつ気がかりがあった。人は誰でも老いてゆく。「母も私もいつまで働けるんかな」──恵さんの心にある漠然とした不安は、年々大きくなっていったという。実際、数年前に泰子さんがパーキンソン病を発症し、しだいに店から離れていった。まだ深刻な症状はないというが、介護と店の経営を一人で背負う恵さんの重責は、計り知れない。
そんな恵さんと一緒に、売り場を盛り上げているのが店の"仲間"だ。中でも新しい店がオープンしたころに入った濱崎美恵子さんは、マネージャーとして従業員をまとめつつ、恵さんの右腕となって店の運営をサポートする。
濱崎さんによると、最初は恵さんとパートさんたちの間に壁があったという。完璧な仕事を求める恵さんと、それをプレッシャーに感じたパートさんたち。両者の距離を縮める手立ては「本音をぶつけ合うこと」だったそうだ。
「真のチームになりたい、いいお店にしたいという気持ちから、私は思いを隠さず『もっとこうしたほうがいいんじゃないですか』などと強く言ったこともあります」
と、濱崎さん。正直に気持ちを伝えなければ、理解し合うことはできない。だからこその進言だ。現実的に人手が足りなくなった時期があり、恵さんは「仕事は一人じゃできないことを痛感した」と振り返る。また、こうも悟った。恵さんは言う。
「経営者と従業員って、ぶつかったり、一緒に何かをやり遂げたりして、やっと『輪』になれるもんなんですよね」
ここ数年、恵さんは濱崎さんらパートさんたちの声も聞き入れ、店を盛り上げる具体策を打ち出している。地元で相次いだ大型工事で作業員が集まり、客足が増えたのがきっかけだ。「工事はいつか終わる。先手を打っとかないと」と、恵さんは危機感を持っていたからだ。
まずはみんなの士気を上げるため、ミーティングのやり方を見直した。恵さんが指示を出すスタイルから、主役を従業員に。
「ミーティングの時間は私が売り場に入るけん、あとはやっといてーって感じ」
と、恵さん。濱崎さんに説明してもらうと「司会進行役を持ち回りにしました。自分が担当になれば責任感が違うし、一人が頑張れば、私も、って相乗効果が出ます」。
決めたことはやる。その分、発言に重みが出て、モチベーションも上がった。
二つ目は、フェイスアップだ。フェイスアップとは、コンビニ業界用語で「棚で奥まっている商品を前に出して見やすくする」など、商品陳列を整えること。
「本部の地区マネージャーさんが、フェイスアップに力を入れているお店を紹介してくれたんです。見学に行かせていただいて、すごいなと。うちもやるけんね!と、みんなに話しました」(恵さん)
習慣づければ常に美しい売り場を演出できる。しかも、人がすることだから経費がいらない。やって損はない。「でもね」と、現場を仕切る濱崎さんが口を挟んだ。
「新しい取り組みって、従業員からすれば仕事が増えるだけ。全員が納得してできるように計画しないと」
そこで始めたのが、日々やるべき作業の「見える化」だった。誰がいつ、何をやるかを一枚の紙に書いて共有した。やることが明確だから一人ひとりの作業効率がアップし、従業員同士で動きを把握している分、連携が取りやすく、作業をスムーズに進めることができるようになった。
「基本、みんなやる気満々なので、何かルールを作れば、成果は出るんです」
と、濱崎さん。「またいろいろ考えんといけんね」と恵さんもうなずく。失礼ながら、とことんポジティブなふたりは、あうんの呼吸でいいパートナーだなと思った。
「店の雰囲気がよく、働きやすいですよ」と話す花田愛子さん。
「1/2日分の野菜!博多水炊き」など九州地区限定の商品も多い
最後に、これからの抱負を尋ねると、恵さんの表情がちょっと曇った。
目下の悩みは社員の育成だという。今は素晴らしい従業員たちに恵まれているが、いつまでも引き留めることはできない。それにコンビニは深夜勤務のある仕事だから、次の店長職は男性がいいのではと思う。
「十分な条件を出せれば、男性の後継者探しはうまくいくかもしれんけど、そうもできんし、頭が痛い話なんです」
珍しく弱気な口調になった恵さんに反して、濱崎さんが身を乗り出して言った。
「元気な限り、ずっと頑張りたいね、とパートさんたちとよく話します。オーナーは家族が少ないけん、私らが家族やねって。口には出さんけど、みんな心の中ではオーナーを支えたいって思ってるんです」
いや、これは。「泣かせる話ですね」と恵さんに水を向けると、照れ隠しに「みんな、やさしー!」と、おどけて見せた。互いに思いやる。仲間っていいな。
SHOP DATA
セブン-イレブン甘木柿原店
住所
福岡県朝倉市柿原1084
特徴
2005年2月25日に移転オープン。
従業員の団結力が売り場を盛り上げる明るい店だ