サッカーの試合でサポーターが掲げた旭日旗が問題となった。そこにはどんな背景があるのだろうか? 毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された、埼玉大学教授・一ノ瀬俊也さんの解説を紹介しよう。
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サッカーJ1川崎フロンターレのサポーターが、4月、韓国で行われたアジア・チャンピオンズリーグの試合で旭日旗を掲げたことで、同チームがアジアサッカー連盟から処分された。差別的行為を禁じる規定などに違反したという理由からだ。
そもそも旭日旗とは、どんな旗なのだろう?
「旭」は「朝日」のこと。旗は東の空から天に昇る朝日をデザインしている。
昔の日本の軍隊は、明治時代に旭日旗を国旗と並ぶ自らのシンボルとして採用した。陸軍は1870年に「陸軍御国旗」(のち軍旗)に制定。海軍も89年に「軍艦旗」と定めて、各軍艦に掲げた。
軍旗も軍艦旗も光線は16条(本)、軍艦旗は赤丸をやや旗竿側に寄せるなど、デザインがきちんと定められていた。軍旗は各歩兵・騎兵連隊に天皇から直接与えられたし、軍艦旗は「陛下の御影(※1)として敬仰する(※2)旗で軍艦の魂」(海軍中将・中里重次『国旗と軍艦旗』1940年)という扱いだった。軍は旭日旗を天皇の代理として神聖視したのだ。
37年の日中戦争から太平洋戦争にかけて、アジア・太平洋の各地を日本の陸海軍が攻撃、占領すると、そこには国旗とともに旭日旗が天皇や軍の栄光をあらわすシンボルとして掲げられた。45年まで続いた激しい戦いで、敵味方、あるいは現地住民の人々が大勢亡くなり、家族や財産を失った。このことがアジアやアメリカ、ヨーロッパの人々に、今日まで日本の侵略と旭日旗を直接結びつけて考えさせる原因となった。
日本が太平洋戦争に敗れると、日本の陸海軍は、アメリカを中心とする占領軍に解体されて、軍旗も軍艦旗も使えなくなった。しかし、54年の自衛隊発足にあたり、陸上自衛隊は光線8条の自衛隊旗を、海上自衛隊は軍艦旗と同じ16条の自衛艦旗を制定し、今日まで使っている。このことに外国から大きな批判は出ていない。
しかし、サッカーの国際試合のように、各国の愛国心が直接ぶつかりあうような場所で、かつての日本軍が使ったものに似た旭日旗が掲げられると、悲惨な戦争の記憶がよみがえって問題視されるのだ。
旗はメッセージ性がきわめて高いもの。まして国旗やそれに準ずる旗は、その国の負の歴史を直接想像させることがある。したがって、扱いには慎重さが求められる。(解説/埼玉大学教授・一ノ瀬俊也)
※1御影=お姿。 ※2敬仰する=敬い仰ぐこと。
【メモ】
日本が日中戦争や太平洋戦争を行ったのは、勢力圏をアジア全土に広げて資源を確保し、経済不況を解消するためでした。その結果、日本を除くアジア諸地域だけで約2千万人が死亡したとされています。
※月刊ジュニアエラ 2017年8月号より