【Vol.08】分野を横断して育むオペラの心と音楽人の教養/小林玲子教授

誰にも「盗まれないもの」を求めて
音楽大学へ進学

畑山:小林先生は、声楽家として欧州各国で「蝶々夫人」を70回近く演じてこられました。かの地に渡ったのは、どのような経緯で?

小林:そもそもわたしは、お金持ちのお嬢様ではなく、信州のごく普通の家庭で育ちました。当時は、女性が4年制大学に通うことさえ珍しかった時代。「音大に進みたい」と告げると、家族全員から反対されました。そんな時、当時受験のために師事していたピアノの先生から送られた「泥棒に盗られないものを身につけなさい」という言葉に後押しされたんです。

畑山:「泥棒に盗られないもの」?

小林:先生は、こう言ってくれました。「高価なバッグや宝石は、泥棒に持って行かれたら終わり。だけど、教養は一度手に入れたら他人に盗られることはない。大学に行って、やりたいことをやりなさい」。両親は、学校の音楽教員になるのであれば、とわたしを送り出してくれました。そして進学した名古屋芸術大学の声楽科で再び、わたしの人生を左右するような恩師(中島基晴氏)と出会うことに。「きみの歌声は柔らかく、丸みや深みがある。イタリアオペラを歌える声だから、行ってみろ」と、背中を押してくださったんです。

それから24歳で留学してイタリアの音楽院に通い、コンクールに出場する日々を送っていました。ある日、コンクールで一位を分けたことがあり、同じ音楽院に通うテノールの学生が、「『蝶々夫人』を歌える歌唱力を持った若くてかわいい子を探しているらしい。レイコ、行ってみたら?」と、エージェントにわたしを推薦してくれたんです。

畑山:「蝶々夫人」。プッチーニ作曲のオペラですね。長崎を舞台に、主人公の美しい芸者「蝶々さん」と米海軍士官の結婚、その悲劇的結末を描いた作品。アリア「ある晴れた日に」が有名ですね。

小林:着物を着て、「三つ指」をついて正座して「いらっしゃいませ」ができる日本人を探していたようです。合格し、ヨーロッパ各地のわりと大きな劇場を回る日々が始まりました。音楽院を終えてすぐのことです。こう言うと順風満帆だと思われるかも知れませんが、実際はそうではありません。実は一度、音楽院の修了試験に落ちていたんです。それも「日本人だから」という理由で、ある1人の試験官に低い点数をつけられて。今、考えると酷い嫌がらせですが、修了が1年延びたおかげで「蝶々夫人」のオーディションに受かった。人生、何があるかわかりません。

恩師の教えを胸に
桜美林で伝えるオペラの真髄

畑山:キャリアの中で、思い出に残る公演は何ですか。

小林:初めての子どもが生まれて4ヶ月後に、「蝶々夫人」の舞台に立った時のことです。1986年の秋、スイスのバーゼル歌劇場でした。宿泊先のホテルで、一週間ほど地元のベビーシッターさんに子どもをお世話してもらい、リハーサルの空き時間を見つけては、ホテルに駆け戻って授乳して。無事に公演は終わり、カーテンコールでフラフラになりながら舞台に出て行った時、約2500人のお客さんがウワーって一斉に立って迎え入れてくれたんですよ。「こんなことあるの!」と。

畑山:約25年の欧州生活を経て2005年、日本に戻り、桜美林大学に着任されました。イタリアでの経験から、桜美林での教育に採り入れていることは。

小林:とにかく日本人は、おとなしい! イタリアでのオペラは、もっと開放的に、とにかく伝えないといけないもの。「静の美」などは存在しません。学生たちには今までの概念を捨てて、「伝えよう」とする気持ちをダイレクトに表現するように指導しています。

畑山:そんな先生の薫陶を受けた教え子の卒業生・岡村実和子さんが、2021年7月にイタリアで開催された「リカルド・ザンドナイ国際声楽コンクール」の1位に輝きましたね。

小林:岡村さんは桜美林での4年間で飛躍的に成長してくれました。わたしは、名古屋の恩師をお手本に、「こういう時にこんな指導をしてくれた」「こう言って励ましてくれた」という経験を思い起こしながら、伝えるようにしてきました。

1986年、スイスのバーゼル歌劇場で「蝶々夫人」を演じた際の一枚
1986年、スイスのバーゼル歌劇場で「蝶々夫人」を演じた際の一枚

新キャンパスで広がる
分野を横断した学び

畑山:2020年春、芸術文化学群は、新しくオープンした「東京ひなたやまキャンパス」での学びをスタートしました。

小林:音楽専修の最大の魅力は、分野をまたいで広い視野から音楽を学べる点です。既存の音楽大学では、声楽専攻だったら、主専攻として学べるのは声楽だけ。桜美林では、声楽のほか、ピアノやミュージカル、ジャズ・ポピュラー・作曲などから、2つの分野を主専攻として1、2年生で学べます。音楽人としての「教養」をつけるためには、クラシックだけ勉強しても融通が利かないんです。いろいろな分野に広く触れてみて、「自分は、これをやる」と決めていく。桜美林ならそれができます。教員の免許も取れますし。現在建設中のホールが完成すれば、演奏の機会もどんどん広がりますね。

畑山:「東京ひなたやまキャンパス」は、大型ニュータウン・町田山崎団地に隣接し、町田駅からバスがひっきりなしに走っています。地域の人たちにも、気軽に音楽に親しんでもらえるイベントを開けたら良いですね。芸術文化学群には「音楽専修」のほか「演劇・ダンス専修」「ビジュアル・アーツ専修」もあります。ヨーロッパみたいに、ホールの周りでちょっとだけワインを飲んで、軽食を頬張って、アンサンブルを聴いたり、演劇を観たり。いつか、そんなことができたら良いなぁ。

小林:学生の発表の場はなるべく増やしたいですね。例えば声楽ゼミのオペラやピアノ・器楽ゼミの演奏会、ミュージカルも。「舞台でできるもの」はすべて、挑戦していきたいです。

小林玲子

桜美林大学 芸術文化学群 教授

名古屋芸術大学声楽科卒業後、ミラノ・ヴェルディ国立音楽院声楽科修了。ノヴァーラ国際声楽コンクール第4位、コスタンティーノ・フィオッキ国際音楽コンクール 声楽部門第1位、エンナ国際声楽コンクール第1位、プッチーニ国際声楽コンクール第1位。1981年より25年間、イタリア・ミラノに拠点を置き活躍。1983年、ドイツ・フィルツ劇場でオペラ「蝶々夫人」のタイトルロールを歌いヨーロッパ・デビュー。オランダ、ベルギー、スイス、フランス、イタリアで「蝶々夫人」を計67回公演。「ラ・ボエーム」ミミ役もヨーロッパで10回出演。2005年より桜美林大学で教鞭をとり、現在、芸術文化学群音楽専修教授

文:加賀直樹 写真:今村拓馬

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