12月3日は「国際障害者デー」。過去の記事を再配信します。(2024年7月24日の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)
【写真】岸田家の家族写真はこちら家族について書いた自伝的エッセイが、多くの人の心を掴んでいる作家の岸田奈美さん。反抗期だった中学生の時に父が亡くなり、その後に大病を患った母は車いすユーザーに。さらに4歳年下の弟はダウン症で生まれつき知的障害があり、やがて祖母は認知症に……。さまざまな困難が次々と押し寄せる岸田家の日常を、愛情とユーモアたっぷりに綴り続けています。岸田さんが今、好きなことを自由にして幸せでいられるのは、いつも絶対的な味方でいてくれた母・ひろ実さんのおかげだと言います。岸田さんからみたひろ実さんの子育ては、どのようなものだったのでしょうか? ※<作家・岸田奈美が語る、母の一番好きなところ 「ようそんなに喜べるなぁ…と感心するくらい本気で感動する」>に続く
「あんたはみんなを幸せにする」と言い続けた母
――岸田さんから見て、母・ひろ実さんはどんなお母さんでしたか? 娘から見てすごいと感じるところは?
母のすごいところは、絶対的な私の味方でいてくれたことですね。もうそれに尽きる。 外でどんなことがあっても、家に帰ったら母だけは絶対に否定せず、事情を聞いてくれるんですよ。
「奈美ちゃんがそういう風にやったってことには、たぶん全部意味がある」「お母さんにはわからんけど、あんたがイライラしてるってことはわかった」みたいなスタンスで、常に「あんたが幸せになるための基地」「いつでも帰ってこれる港」という感じでいてくれたのは、今振り返ってもすごくよかったと思います。
私が最強なのは「岸田奈美は、幸せであるべきである」「必ず幸せになれる」と心の底から思っているところです。それはうちの母が「あんたはいるだけで、みんなを幸せにするから」と、言い続けてきた成果だと思います。
ま、家の中だけで自己肯定感が上がりすぎるのもどうかとは思いますが(笑)。おかげで自分が大事にされてないなとか、愛されてないなと思うと、「私はここにはいる必要はないな」と、逃げることができるんです。自分を守ることができる。それはよかったですね。
岸田家の家訓は「各自、幸せになれ」
――叱られることもありましたか?
もちろん、夜遅くまで校区外の公園で遊んだり、連絡もせずに彼氏と遊び歩いてたり……そんなことをしていた時期もあったので、そういう自分を粗末にするようなことや、命に関わることはすごく心配されて叱られたりもしましたが、それ以外のことは絶対的な味方でした。
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