【Vol.5】技術者魂が日本を変えた〜全国に広がった公害対策「横浜方式」誕生秘話

 灰色の建屋の煙突から立ちのぼる黒い煙。石炭による火力発電と聞いて、多くの人が思い浮かべるのがこうした光景ではないだろうか。

 そうしたイメージを根底から覆す火力発電所が、日本有数の大都市、横浜にある。ヘルメットを被り、きびきびと作業着姿で働く人たち。敷地の約20%を緑が占め、海から流れ込む風が心地いい。もちろん、高さ200mの煙突から黒い煙が立ちのぼるようなことは一切ない。世界トップクラスのクリーンな石炭火力発電所と呼ばれる所以だ。

現在の磯子火力発電所(写真提供/電源開発株式会社)
現在の磯子火力発電所(写真提供/電源開発株式会社)

 1960年代、国の石炭政策に沿ってJ-POWERが建設した磯子火力発電所は、日本で初めて自治体と企業が公害防止協定を結び、公害防止に取り組んだことでも知られる。当時、法律よりも厳しい基準を定めて結んだこの協定は、のちに「横浜方式」と呼ばれ、現在に至るまで地方自治体の公害防止行政のモデルとなっている。

 当時、横浜市の公害対策局に勤務し、協定の締結に尽力した現神奈川大学名誉教授、猿田勝美さんは言う。

「飛鳥田市長から、『市民の健康と石炭産業の両立のために知恵を絞ってくれ』と厳命されました。事業者には極めて厳しい基準になりましたが、これが原点になりましたね。まだアセスメントという言葉もなかった時代ですが、今、振り返れば、環境アセスメントの先駆けだったと言えるでしょう」

1979年当時の磯子火力発電所(写真提供/電源開発株式会社)
1979年当時の磯子火力発電所(写真提供/電源開発株式会社)

J-POWERのDNAが
“技術者魂”を奮い立たせた

 以来、磯子火力発電所は30年以上にわたり、横浜を中心とする首都圏に電力を安定的に供給してきた。そして1996年から、さらなる環境への配慮と設備の老朽化対策、増加する電力需要に対応するため、出力を2倍以上に増強してリプレースする(建て替える)という一大プロジェクトに取り組んだ。

 しかし、建て替えと言っても、磯子火力発電所は関東エリアの電力を下支えしており、発電をやめるわけにはいかない。限られた敷地の中で、発電と増設工事をどう両立していけばいいのか。試行錯誤の末に採用したのは、運転しながら新1号機を建設し、新1号機の運転開始後に旧設備を撤去して新2号機を建設するという、「ビルド・スクラップ&ビルド方式」と呼ばれる手法だった。

 発電システムにおける最大の関門は、排煙対策だった。当時の横浜市が掲げた「よこはま21世紀プラン」というさらに厳しくなった環境基準を、石炭火力で本当にクリアできるのだろうか。大きな課題だった。

 だが、このプロジェクトを内心、心待ちにしていたのが、当時、電源開発の技術屋として“火力畑”を長年歩いてきた現会長の村山均だ。

 村山は言う。

「私たちの会社は、佐久間ダムをはじめとする大規模水力発電の開発から始まり、これまでいくつもの困難なプロジェクトを実現してきました。他社に先駆けて困難に挑戦し、実現することは、言うなればこの会社のDNAです。より高度な技術を生み出し、より効率的な発電をすること、より厳しい排ガス基準をクリアすることに生きがいを感じているような人間が大勢いました」

石炭火力の常識を変えた!
天然ガス火力並みの環境性能

 J-POWERがリプレースにあたって横浜市から求められたのは、天然ガス火力と同等、もしくはそれを上回るクリーンな火力発電。つまり、磯子火力発電所を「世界トップクラスのクリーンな石炭火力発電所」に生まれ変わらせることだった。

 リプレースの成否を左右する技術は二つ。限りある化石燃料資源の効率的利用を目的に開発され、結果として二酸化炭素(CO2)排出量の削減にもつながる「超々臨界圧(USC)」と、発電所用としては国内初となる「乾式排煙脱硫装置」だ。前者は蒸気タービンの圧力や温度を極限まで上昇させることで、国内最高水準の発電効率を実現するためのもの。後者の乾式排煙脱硫装置が、新たな環境基準をクリアするための鍵だった。

環境基準クリアの要となった磯子火力発電所の乾式排煙脱硫装置(写真提供/電源開発株式会社)
環境基準クリアの要となった磯子火力発電所の乾式排煙脱硫装置(写真提供/電源開発株式会社)

「長年、開発してきた乾式排煙脱硫装置のテストも終わり、あとはいつ、どこで実用化するのか。磯子火力発電所のプロジェクトが動き出したのはちょうどそんなタイミングでした。ですから、長年技術開発に関わってきた私にも高揚感がありましたね」

 その後、1998年に着工した新1号機には、乾式排煙脱硝装置をはじめとする最新環境対策技術を導入。2002年に運転を開始した新1号機は、横浜市から求められた環境基準を見事にクリアし、旧プラント比較でSOxを3分の1(60ppmから20ppm)に、NOxを7分の1(159ppmから20ppm)に、ばいじんを5分の1(50mg/㎥Nから10mg/㎥N)に削減。発電効率を高めたことでCO2の排出も17%削減した。2009年に運転を開始した新2号機ではさらなる改善も実現し、10年以上にわたる一大プロジェクトは無事、完了した。

 磯子火力発電所のクリーンさは、世界的に見ても群を抜いている。NOx排出量は米国の10分の1、SOxはわずか1000分の1。環境規制が厳しいドイツと比べても、NOxは13分の1、SOxは500分の1となっている。

リプレース前(上)に見られた煙突からの白い煙も、リプレース後(下)はすっかり姿を消した。目を凝らしても、排ガスの熱で空が陽炎のように揺らいで見える程度だ(写真提供/電源開発株式会社)
リプレース前(上)に見られた煙突からの白い煙も、リプレース後(下)はすっかり姿を消した。目を凝らしても、排ガスの熱で空が陽炎のように揺らいで見える程度だ(写真提供/電源開発株式会社)

 横浜市の環境創造局大気・音環境課長、鈴木孝さんは言う。

「2000年代にリプレースされた磯子火力発電所は、当初、横浜市が要望していた通り、天然ガス並みの数値を実現しています。その後、2012年には協定の一部見直しを行い、CO2対策として、下水処理場からでる汚泥を活用したバイオマス燃料を使うなど、カーボンニュートラルへの取り組みも進んでいます」

理想のエネルギーに
たどりつくために

 新1号機の運転開始から20年近くが経った今、地球温暖化はより深刻度を増し、脱炭素は地球全体で取り組まなければいけない喫緊の課題だ。リプレースした磯子火力発電所がどれだけクリーンであっても、今の時代に石炭火力発電が歓迎されていないことを、村山もよくよく承知している。

「早い段階で選択肢を切り捨てて何か一つに絞ることは、リスクも高くなり、結果的に技術の進歩も遅くなるというのが私の考えです。電力で言えば、原子力、水力、太陽や風力などの再生可能エネルギー、そして火力も使いながら、それぞれ競争させて技術を磨いていく。そうすることで、いつか環境にも、人にも優しい理想のエネルギーにたどりつくのではないでしょうか」

磯子火力発電所のボイラー内部。粉末状に細かく砕いた石炭(微粉炭)が赤々と燃えている(写真提供/電源開発株式会社)
磯子火力発電所のボイラー内部。粉末状に細かく砕いた石炭(微粉炭)が赤々と燃えている(写真提供/電源開発株式会社)
磯子火力発電所のタービン発電機。ボイラーで微粉炭を燃やして水を熱し、発生した高温の蒸気でタービンの羽根車を回すことによって発電する(写真提供/電源開発株式会社)
磯子火力発電所のタービン発電機。ボイラーで微粉炭を燃やして水を熱し、発生した高温の蒸気でタービンの羽根車を回すことによって発電する(写真提供/電源開発株式会社)

 磯子は村山が携わった発電所の中でも特に思い入れのある発電所で、今もよく足を運ぶ。発電所らしからぬさわやかな色を施した外壁や、三溪園の景観を壊さないためにわざわざ敷地の最南端に建設したという煙突を見るたびに、当時、毎晩のように議論し、頭を悩ませた問題がよみがえる。

 ただ、そんな苦労のあった磯子を完成後、初めて訪れた時のことは、村山はあまり覚えていないと言う。

「うれしさよりも、当時はほかの発電所のことで頭がいっぱいだったんですよ。次はどうしたら基準をクリアできるか。そんなことばかりを考えていて感慨にふける余裕がなかったんでしょうね」

 今でこそ要職を歴任し、日本の電力を支える企業のかじ取りを担うようになったが、村山は根っからの技術屋なのだ。

 最新の排ガス処理装置を導入し、世界トップクラスのクリーンな石炭火力発電所となった磯子火力発電所。その実現に尽力した村山には、若い世代にいつか叶えてほしい願いがある。

「私が入社した時代は新しいプラントの計画が次々と生まれていて、より効率のいいものを、より環境への負荷が少ないものを作ろうと技術開発に取り組んでいました。今は石炭への逆風も強く、そうした技術開発に投資しにくい状況になっています。しかし、技術を磨くことで解決できる課題はたくさんある。私たちは今、化石燃料でもCO2を排出しない『ゼロエミッション火力』の実現を目指しています。さらには、排ガス中のCO2を分離・回収して地中に長期間貯留する技術(CCS)を組み合わせた石炭ガス化複合発電というシステムで、バイオマス燃料の利用率を上げれば、CO2を排出しないだけでなく大気中のCO2も減らす『ネガティブエミッション』の実現性も高まっていく。近い将来、我々世代が考えもつかなかったような技術を、若い技術者たちが開発してくれると信じています」

 理想のエネルギーを実現する技術はいつ、どこで生まれるのか。J-POWERがその一翼を担う時、そこには村山と同じ、困難なことに挑戦し続ける同社のDNAが受け継がれているはずだ。

※出典:International comparison of fossil power efficiency and CO2 intensity 2018より

村山 均(むらやま・ひとし)

福岡県生まれ。1980年、北大大学院工学研究科卒。電源開発入社後、火力発電を中心とした技術開発に携わり、火力発電部長、執行役員火力発電部長、執行役員火力エンジニアリング部長、執行役員火力建設部長などを歴任。2015年6月に代表取締役副社長。2020年6月に代表取締役会長に就任。

文:奥田高大 写真:今村拓馬

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