【Vol.7】技術の粋は国境を超える スリランカの命運を懸けた水力発電プロジェクト

 戦後、日本の電力を支えるために設立され、佐久間発電所をはじめ、多くの電力事業を手がけてきたJ-POWER。試行錯誤を重ね、国内で磨かれてきた技術は、今、世界の電力の一端も支えている。

 その一つが、“インド洋の真珠”とも呼ばれるスリランカ・セイロン島にある。2022年には国交樹立70周年を迎えるなど、日本とも深い関わりがある国だ。

 2003年、J-POWERはあるプレスリリースを行った。スリランカのアッパーコトマレ水力発電プロジェクトの施工監理などに関するコンサルタント業務を受注したという内容だった。

建設中のアッパーコトマレ地下発電所(写真提供/電源開発株式会社)
建設中のアッパーコトマレ地下発電所(写真提供/電源開発株式会社)

 石炭や石油、天然ガスなどのエネルギー資源に恵まれないスリランカは、当時、発電のための燃料を輸入に頼らざるをえない状況にあった。発電に使える唯一の資源といえば水。スリランカには水力開発に向いた地形があり、これまでも同国政府は積極的に水力開発を実施し、国内の電力を供給してきた。

 だが、ちょうどそのころから、国の経済は政府の想像をはるかに超えるスピードで成長していく。2003年に約1100USドルだったスリランカの国民1人当たりのGDPは、2017年には4000USドルを突破(※)。十数年で4倍近くに伸びており、かつての日本が経験したような高度経済成長のただ中にあった。

 それに伴って電力需要も急激に増加。たびたび供給制限が実施されるなど、スリランカの電力需給は非常に逼迫した状態が続いていた。そうしたなか、政府の重要開発電源として計画されたのが、アッパーコトマレ水力発電プロジェクトだった。

 J-POWERは1962年以降、これまで世界64の国と地域で、361件もの電源の開発および送変電設備などに関する海外コンサルティング事業を手掛けている。そんな同社の海外コンサルティング事業に20年以上にもわたって関わってきたのが、土木エンジニアリングのエキスパート、萩原克だ。

 萩原は言う。

「スリランカは、日本と同じように資源に恵まれない国です。そうした事情もあって、電気を作るために燃料を高い価格で買わざるをえず、また、海外の独立系発電事業者の高い電力料金設定に頭を抱えている状況でした。アッパーコトマレ水力発電所ができれば国産エネルギーを使えるようになるわけですから、国の将来を左右する一大プロジェクトだったのです」

 アッパーコトマレ水力発電プロジェクトでの萩原の仕事は大きく二つ。一つはコンサルタントという立場で、発電所の設計から、施工業者の入札・発注・決定など着工前の業務を適切に進めること。もう一つが着工後のプロジェクト管理。品質管理や工程、予算、各コントラクターの管理、さらに安全衛生・環境管理や地元住民への対応など、つまるところ発電所を完成に導くために必要なあらゆる業務を担うことだった。

海外プロジェクトに欠かせない
経験と勘、そして度胸

 萩原が初めて海外の発電プロジェクトに携わったのは1997年。以来、手掛けてきた海外コンサルティング事業は20を超え、調査などを含めれば40カ国以上に足を運んできた。日本国内で培った技術を提供するというコンサルティングという事業柄、対象となる国は大半が途上国だ。ペルー、カンボジア、フィリピン、ミャンマー……。治安が不安定で、現場からほとんど外出できないような国もあったという。

ペルーのユンカンダム(写真提供/電源開発株式会社)
ペルーのユンカンダム(写真提供/電源開発株式会社)

 アッパーコトマレ水力発電プロジェクトの担当を任されたのは2003年。2006年末までは日本国内で着工前業務に携わり、2007年2月、本体工事の着工とともにスリランカに赴任する。1983年から続くスリランカ内戦が続いていた時期だった。

「土木工事では大量に火薬を使います。ですから内戦が終結する2009年までは、いかに火薬をテロリストから守るかも重要な業務でした。そのために日本大使館にかけあって、セキュリティ担当者と一緒に地元の警察を回り、厳重な警備を依頼したこともあります。さらにこのプロジェクトでは水没する家屋が500戸ほどあり、移転してもらうために新たな家屋も用意するなど、移転に関する問題も解決する必要がありました」

アッパーコトマレ水力発電所のダム建設に伴い、移転する住民のために建設した住宅(上)と学校(下)(写真提供/電源開発株式会社)
アッパーコトマレ水力発電所のダム建設に伴い、移転する住民のために建設した住宅(上)と学校(下)(写真提供/電源開発株式会社)

 もちろん技術的な問題も山積していた。

 アッパーコトマレでは13キロメートルにも及ぶトンネルを掘削する必要があった。ところがそれまでスリランカで掘られたいちばん長いトンネルは、わずか400メートルほど。国内だけではトンネル掘削の経験者が足りず、労働者をネパールなどから手配したこともある。ほかにも“想定外”の出来事を挙げれば切りがないが、そうした問題はそれほど大したことではないと萩原は言う。

 では、何が最大の懸念だったのか。あくまで個人的な意見だと前置きしながら、萩原は当時の不安を包み隠さずに明かした。

「工事中に起きる技術的な課題は予算をかけるなり、対策をするなりすれば何とかなります。ダム開発におけるもっともクリティカルな問題は、完成後、水が漏れるなど貯水がうまくいかず、想定していた電力量が発電できないことです。完成前であれば、いくらでも対策はできる。でも、完成後に水が貯まらないとなると、これは致命的です。当然、着工を決断する前にあらゆるデータを集め、何度も繰り返し調査を行い、ここなら貯水できる、十分に発電できると確信して工事を始めます。でも実際には、そこでダムを造るのは私たちが初めてなわけです。『ここなら必ず発電できる、やろう』と決断するには、経験と勘、そして度胸が必要なんです」

課せられたミッションは
「環境と調和する発電所」

 当時、萩原のカウンターパートとしてやり取りしていたセイロン電力庁のゼネラルマネージャーだったシャビ・フェルナンドさんは、当時をこう振り返る。

「アッパーコトマレ水力発電プロジェクトは経済成長を続けるスリランカにとって、極めて重要でアイコニックな事業でした。それだけに関係者には大きなプレッシャーがかかっていましたが、萩原さんをはじめとするJ-POWERの皆さんは品質管理や労働者の安全面、予算や各コントラクターとの調整も含め、本当に素晴らしい仕事をしてくれました。しかも、運転開始から約8年半の発電量は、J-POWERが事前にシミュレーションした数字とほぼ同じ。これには本当に驚かされましたね」

当時、セイロン電力庁でゼネラルマネージャーを務めていたシャビ・フェルナンドさん(写真提供/シャビ・フェルナンド)
当時、セイロン電力庁でゼネラルマネージャーを務めていたシャビ・フェルナンドさん(写真提供/シャビ・フェルナンド)

 シャビさんは、萩原との数え切れないやり取りの中で、とくに印象に残っていることがあるという。

「開発に際して国から課せられた重要なミッションの一つが、環境と調和する発電所にするということでした。その象徴的な存在が、ダム建設地の下流に位置する、スリランカで有名な滝、セントクレア・フォール。ダムを建設する以上、その滝の流量に影響が出ることはどうしても避けられません。ところが、萩原さんは、ダム建設後もできるだけ見栄えが損なわれないようにしたんです。時間帯や流量を変えて、ダムから水を放流するテストを重ね、写真を撮っては私たちに見せてくれて、相談しながら決めていったんです」

「スリランカのリトルナイアガラ」とも言われ、観光スポットとして人気のセントクレア・フォール。セイロン紅茶の産地、スリランカらしく、周囲には茶畑が広がっている(写真提供/電源開発株式会社)
「スリランカのリトルナイアガラ」とも言われ、観光スポットとして人気のセントクレア・フォール。セイロン紅茶の産地、スリランカらしく、周囲には茶畑が広がっている(写真提供/電源開発株式会社)

 そうして2012年、アッパーコトマレ水力発電所は無事に運転を開始した。奇しくも、日本とスリランカが国交を樹立して60年の節目の年。それを祝う記念硬貨に刻まれたのは、アッパーコトマレ水力発電所だった。

完成式典には、当時のスリランカ大統領、マヒンダ・ラージャパクサ氏(写真中央)も参列。萩原(右)が発電所の概要を説明した(写真提供/電源開発株式会社)
完成式典には、当時のスリランカ大統領、マヒンダ・ラージャパクサ氏(写真中央)も参列。萩原(右)が発電所の概要を説明した(写真提供/電源開発株式会社)
建設中には、日本の福田康夫元首相(左)も視察に訪れた(写真提供/電源開発株式会社)
建設中には、日本の福田康夫元首相(左)も視察に訪れた(写真提供/電源開発株式会社)

縁もゆかりもなかった
国を好きになる

 J-POWERの仕事ぶりがいかに信頼性の高いものであったかは、アッパーコトマレ水力発電所の完成後、同じくスリランカのピーク需要に対応するための電力計画プロジェクトをJ-POWERが受注したことからもわかる。言うまでもないが、その業務主任に任命されたのは萩原だ。

 実は萩原はプロジェクトを終えてからも、いろいろな名目でスリランカを訪れている。だが、本当の目的は自身が携わったアッパーコトマレ水力発電所を見に行くためだ。

「これまでいくつものプロジェクトに関わってきましたが、最初の設計段階からダムの完成まで、すべてを見届けることができたのは、アッパーコトマレ水力発電プロジェクトただ一つ。それだけに特別な思いがあります。稼働後もしっかり動いているのかと、どうしても気になってしまう。日本に帰ってきてからも、しばらくは現地のニュースを毎日見ていましたね」

 海外のプロジェクトを終えると、それまで縁もゆかりもなかったその国のことが好きになると萩原は言う。

 そんな萩原の人柄と、スリランカへの思いを示す文章がある。ある専門誌に寄せた文章で、萩原はJ-POWERがアッパーコトマレに関わることになった経緯、スリランカの電力事情、現地での品質管理の難しさなどについて触れた後、最後にこう記している。

スリランカは2009年に内戦が終結し、治安が格段に良くなっています。世界遺産も多く、昨今日本人の観光客も多いと聞き及びます。皆さんもぜひ一度スリランカを訪れてみてはいかがと思います。

 萩原が結びの文章に選んだのは、技術に関することでもなければ、自らがいかにプロジェクトに貢献したかといった美辞麗句でもない。ただ、自分が好きになった国を訪れてほしいという飾り気のない一文だった。

 萩原は定年後も会社から請われ、常勤嘱託として国際業務に関わっている。現在は、J-POWERが今年出資したオーストラリアの再生可能エネルギー企業、ジェネックス・パワーが建設中のキッドストン揚水発電プロジェクトを進めているという。

 世界的な新型コロナウイルス感染症の拡大が続き、海外との行き来さえままならないなか、緊張の日々が続いている。だが、状況が落ち着き、自由な時間ができたとき、自身が携わったダムを見に行く萩原の姿が、世界のどこかできっと見られるに違いない。

オーストラリア・キッドストン揚水発電所の建設地。廃止された金鉱山の採掘地を貯水池として活用し、揚水発電所を造る計画だ。上下の貯水池間で揚水・発電を繰り返す、いわば、水力発電を使った蓄電池の役割を果たす。世界各国で再生可能エネルギーの開発が急速に進む一方で、系統安定化対策が求められている。こうした状況を踏まえ、J-POWERでは、蓄電機能を持ち調整機能に優れた水力発電(揚水発電を含む)によるビジネスモデルを「WATER BATTERY®」と名付け、海外での事業化につなげている(写真提供/電源開発株式会社)
オーストラリア・キッドストン揚水発電所の建設地。廃止された金鉱山の採掘地を貯水池として活用し、揚水発電所を造る計画だ。上下の貯水池間で揚水・発電を繰り返す、いわば、水力発電を使った蓄電池の役割を果たす。世界各国で再生可能エネルギーの開発が急速に進む一方で、系統安定化対策が求められている。こうした状況を踏まえ、J-POWERでは、蓄電機能を持ち調整機能に優れた水力発電(揚水発電を含む)によるビジネスモデルを「WATER BATTERY®」と名付け、海外での事業化につなげている(写真提供/電源開発株式会社)
「WATER BATTERY®」のロゴ(写真提供/電源開発株式会社)
「WATER BATTERY®」のロゴ(写真提供/電源開発株式会社)

※出典:IMF COUNTRY DATAより

萩原 克(はぎはら・かつ)

富山県生まれ。東京工業大学大学院修士課程(土木工学専攻)を修了後、1979年に電源開発株式会社に入社。土木試験所(現:茅ヶ崎研究所)などを経て、1991年から国内の水力発電開発計画を策定する開発計画部に配属。その後、1997年から海外の水力発電計画を支援する国際事業部主査となり、ユンカン水力発電計画(ペルー)、昆明水道計画(中国)、アッパーコトマレ水力発電(スリランカ)、キッドストン揚水発電所(オーストラリア)など、さまざまな海外プロジェクトに携わる

文:奥田高大 写真:今村拓馬

このページはJ-POWERが提供するAERA dot.のスポンサードコンテンツです。