すべての始まりは、大学時代。起業した友人に刺激を受けて踏み出した一歩が「人生の転機」に。

SOPHIA PEOPLE 上智で考える。社会で描く。 vol.16

文/田端広英 写真/簗田郁子 デザイン/REGION 企画・制作/AERA dot. AD セクション

大学時代、厳しかった父への反発心が呼び込んだ「人生の転機」。

法学部法律学科で学び、在学中にアンティークの輸入販売会社を立ち上げた、寺脇さん。なぜ法学部なのにアンティークの輸入販売だったのか。寺脇さんの大学時代は、まさに「人生の転機」だった。

 大学入学までは、学生時代に起業するなんて想像もしていませんでした。父が税理士で会計事務所を営んでいたので、子どもの頃から跡を継いで欲しいと言われて育ち、法学部に進学したのも父のすすめです。学部では法学を学び、大学院で経済学や商学を学べばいいという父の考えでした。上智大学を受験したのは、中学校から英語演劇部に所属して英語が好きだったから。父がとても厳しかったので、可能な限り自宅から遠い場所に通いたいという思いもありました。

 実際、大学に入学してすぐ、私は父の「厳しさ」に耐えられなくなりました。入学後はマネージャーとして男子ラクロス部に入部し、連盟のテニスサークルや「紀尾井町経済研究学部」という経済系の研究をする同好会にも入りました。ところが門限は20時半。19時には大学を出なければ門限に間に合いません。それでは何もできないし、帰りが遅いことに父が激怒して「大学をやめて、家に近い大学を受け直せ」と言い出す始末。「そんなの無理!」と思って、大学1年の夏に家出をしたんです。友人の家に居候して、一人暮らしの資金を貯めるところからスタート。何十種類ものバイトをし、そのとき「働くのって楽しいな」と感じたことが、のちの起業につながっているのかもしれません。


アンティークの仕入れなどで訪れた国は約50カ国。さまざまな国の食に触れた経験が、ケータリング事業の素地となった

 アンティークの輸入販売会社を立ち上げたのは、大学3年生の1月です。ちょうど第二次ITバブルのころで、当時「ビットバレー」と呼ばれた渋谷界隈に若手の起業家が集まっていました。大学の先輩や同級生にも起業する人がたくさんおり、そういう仲間と一緒に遊んでいるなかで刺激を受け、自分でも起業してみようと思いました。きっかけは大学1年生の春休みに行ったフランス旅行。アンティーク衣料が普通に街中でも売り買いされていることに興味を持ったんです。初めのうちは自分で集めるだけだったのですが、あるとき友人のお母さんから買い付けを頼まれ、次第にハイブランドのアンティークを扱う輸入販売をするようになり、会社を立ち上げました。

 ただ、卒業後も会社を続けようとは考えていませんでした。外資系の金融機関を志望して就職活動もしたのですが、思うような結果は得られず……。大学院も受けて合格したのですが、「やっぱり自分には士業は向いていない」と考え直し、卒業後も自分の会社を続けようと決心しました。

アンティークの買い付けで世界中を見て回り、新しい事業へ転向。

2006年にアンティークの輸入販売から飲食業に転向したのは、思わぬ事件がきっかけだったという。ファッションから飲食という異業種へのキャリアチェンジだが、寺脇さんのなかではつながっていた。

 卒業後はセレクトショップに卸したりショップも出店したりと経営的には順調でした。ネット通販やメルマガなどもない時代だったので、チラシをFAXやDMで送って少しずつ顧客を増やしていったのです。ところが、あるとき従業員による横領事件が起こりました。私が海外に買い付けに行っている間に、1500万円分ほどの在庫品を売られてしまったのです。この事件をきっかけに、現在の飲食・ケータリング事業に転業しました。当時はまだ日本にケータリングの業態がほとんどありませんでしたが、海外ではレセプションパーティーの際などに、ケータリングの料理を供するのが一般的。アンティークの買い付けで訪れた諸外国でそういうカルチャーを体験していたので、きっと日本でもこれからニーズが増えると考えたのです。


IWCJのイベントは、寺脇さんにとって食を通じて子どもたちに世界へ目を向けてもらおうという社会貢献事業。写真はスロベニア大使館での様子(左)ヨルダン大使夫人と(右)

 とはいえ、飲食業、特に調理は初めての経験。レセプションでのテーブルコーディネートなどはファッションに携わった経験が生かせましたが、料理のスキルはありません。そこで最初は知り合いの料理人を呼んで料理教室イベントをしながら、自分自身の料理スキルを磨きつつ、テーブルコーディネートで付加価値を付けてサービスを展開しました。また、同時にメニュー開発のビジネスも始めました。こちらは現在、都内に工場を作ってメニュー開発から小規模製造まで一貫して行える体制を整えています。

 最近は官公庁などからの引き合いで、地方自治体の特産品を使ったメニュー開発の仕事も増えています。また、2010年に財団の設立に関わり、大使館とのコラボイベントも手がけています。大使館に日本人親子を招いて行う料理教室イベントで、子どもたちには事前にその国について調べてもらい、料理教室のあとに大使館員の前でプレゼンをしてもらうものです。これまで65カ国の大使館で開催しました。

「社会に出たとき自分はどうなりたいのか」、学生時代に考えたから今がある。

新型コロナウイルス感染拡大により、飲食業界は厳しい状況にある。それでも寺脇さんは前を向いて、新しいことへの挑戦を始めている。その力は、上智大学での4年間をきっかけに育まれていったものだという。

誕生日や記念日などに喜ばれる「フラワーレターケーキ」(上)、ケータリング事業で展開していた世界各国の料理が同じように楽しめるホームパーティーセットやデリは通販で人気を集めている

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、企業のケータリング需要は激減し、ビジネス環境は非常に厳しくなっています。この状況は少なくとも1、2年は続くでしょう。そう考えて、これまでは主にB to Bのビジネスでしたが、B to Cのビジネスへと幅を広げています。たとえば、ホームパーティーセットの通販もそのひとつ。また、ケータリングの新事業として「フラワーレターケーキ」の提供を始めます。カスタムメイドのケーキを食用バラで飾って贈るもので、お花は、食品と接しても安全な貯水チューブに挿して提供し、ケーキを食べたあとはフラワーアレンジメントとしても楽しめるようになっています。「レターケーキ」は昔からアメリカなどである慣習ですが、当社ではトータルな仕組みとしてビジネス特許を出願中です。
 
 経営者として心がけているのは、一つの仕事から二つ以上のことを学びとる姿勢です。今の仕事の周辺に興味を持てるものはないのか? それを新しい業態にできる可能性はないのか? 常日頃からそうした意識を持っていたことが、今コロナ禍に対処するうえでも役に立ちました。そういう意味では、ビジネスは囲碁に似ていると思います。囲碁は陣地をつなげるゲームですが、盤上で同時多発的に起きていることに、常に目配りしていなければ勝てません。私は小さいころ、父とよく囲碁や将棋などのボードゲームをやっていました。「これはゲームじゃなくて人生だ」というのが父の口癖でしたが、ビジネスは特に囲碁に似ていると思います。
 
 とても厳しかった父ですが、振り返ってみると強く影響を受けているかもしれませんね。大学時代は興味を持てなかった法学も、実際にビジネスをやるようになってとても役立っています。契約を交わすときやトラブルが起きたとき、弁護士の方と話をするときなど、法学部で学んで本当によかったと思っています。私が入学前に考えていた人生と卒業後の人生はまったく違いますが、振り返れば大学で学んだことはもちろん、一緒に過ごした仲間、そこでの経験が、すべて私の人生に生きています。上智大学での4年間は、初めて親元を離れて自分で何かを決めていった時間でした。社会に出たとき自分はどうなりたいのか、どうやって社会に貢献していくのか、その可能性を探るとてもいい環境だったと思います。

提供:上智大学