文/田端 広英 写真/簗田 郁子 デザイン/REGION 企画・制作/AERA dot. AD セクション
上智大学外国語学部英語学科に進学する前、合澤さんは社会福祉の分野に進むか、国際協力の分野に進むか迷ったという。なぜ、その二つの分野に関心をもったのだろう。
「私はとても楽観的。高校時代、まったく英語ができないのに留学したくらいですから。たいていのことは何とかなる、と思っています」
どちらも子どものころの経験が原体験としてあります。社会福祉の分野に関心をもつようになったきっかけは、同じ小学校、中学校に障害のある子が通っていたからです。特別支援学級に通う手伝いをするなかで、「障害があってもサポートがあれば一緒に勉強できる。大人になったら彼ら、彼女らをサポートできるような先生になりたい」と思っていました。
海外に関心をもったのも同じころです。小学校1年生から3年生まで親の仕事の関係でドイツに住んでいたのですが、現地の人たちによくしてもらった恩返しとして、帰国後に我が家でもホームステイを受け入れることにしました。それが、偶然JICAの途上国からの研修員で楽しい経験となり、「いろいろな国の人と交流したい」と思うようになったのです。その後、高校時代に途上国の開発に関する本を読んだり、1年間、米国に留学したりするなかで、将来は社会のためになる仕事をしたい、英語を生かした仕事をしたい、いろいろな国の人と接したいという気持ちが積み重なっていきました。
上智大学の外国語学部英語学科を選んだのは、英語を学べるだけでなく、英語を通して国際関係や社会学なども学べるカリキュラムがあり、交換留学制度も充実していたからです。でも入学当初は、正直「場違いなところに入っちゃったかな」と思いました。帰国子女ではない同級生も英語力が高く、圧倒されてしまい……。1年生のときはまわりに追いつくために必死で勉強しました。
大学では食べ物の生産・流通・消費から開発課題を考える「世界食糧デーグループ」(現・NatuRound)に所属。フィリピンのバナナ・プランテーションの労働者たちの状況を知るために、現地のNGOと連携してスタディーツアーを実施しました。そのとき現地の労働者の家にホームステイさせてもらった経験から、「途上国の開発に関わりたい」という気持ちが強まりました。
大学3年生の1年間は、開発人類学を学ぶために、交換留学でアメリカのブランダイス大学へ行きました。途上国からの留学生も多く、自分たちの国をよくしたいという強い気持ちをもって勉強している姿に刺激を受け、「将来はこういう人たちと一緒に仕事ができたらいいなあ」と思うようになりました。
上智大学で影響を受けた授業は、村井吉敬先生(2013年死去)の「東南アジア地域演習」ゼミです。東南アジアの開発に関するテーマをグループでリサーチする授業でしたが、何より長年東南アジアでフィールドワークを重ね、現地の人たちの視線で開発と向き合っていた村井先生の姿勢から学ぶことが多かったですね。
大学卒業後はJICAに入職し、21年間、主に障害者の社会参加に関する仕事に携わった。
そして2017年、合澤さんは株式会社ミライロへ転職。どんな心境の変化があったのか。
JICAで最初に配属されたのは、途上国からの研修員を受け入れる部署でした。そこで担当したのが、途上国の障害者リーダーを日本に受け入れる研修プログラム。まったくの偶然ですが、子どものころから考えていた社会福祉と国際協力に同時に携わることになったわけです。次第に「障害者の社会参加」という切り口で途上国の開発に関わりたいと思うようになり、「障害学」を勉強するために英国リーズ大学大学院に留学。途上国の障害者団体と支援国の連携の方法などを学びました。
JICA時代、ニューヨーク国連本部で行われた障害者権利条約締約国会合で、パネルディスカッションに参加した
JICA時代の一番の思い出は、ミャンマーでの手話プロジェクトです。手話は国や地域によって違うのですが、ミャンマーでは2都市のろう学校でそれぞれ異なる手話を使っています。そこで、ミャンマーのろう者、政府の社会福祉局の行政官、ろう学校の先生、日本のろう者の方々と標準手話をつくるプロジェクトを立ち上げたのです。手話通訳の育成やろう者の情報アクセスの改善などが狙いでしたが、おかげでろう者が手話を教えられるようになり、現在では国営放送のニュースに手話通訳が入るようになりました。
印象的だったのは、はじめは自分の意見を言えなかったろう者たちが、プロジェクトを進めるうちにどんどん発言するようになり、輝き出したことです。障害があっても社会参加の道が開ければ輝くことができる。そう確信できる経験になりました。
障害者の社会参加というテーマをもっと掘り下げたい。途上国だけでなく日本の社会課題の解決に何らかのかたちで参加してみたい……。そんなモヤモヤした気持ちを抱き始めたときに出合ったのが、ユニバーサルデザインのコンサルティング事業を展開する株式会社ミライロでした。障害者ならではの経験や知見を生かして社会を変えていくという志。それをビジネスとして展開することで持続性を確保し、障害者の雇用を生んでいくという事業スキームに魅力を感じ、転職を決意しました。
現在は世界を相手にユニバーサルデザインのコンサルティング業務に取り組む合澤さん。
人々の意識の変化を感じることがやりがいだという。
視察に訪れた海外大学のグループにミライロを紹介することも増えているという
現在は、ユニバーサルデザインのコンサルティング業務をしながら、グローバル展開に向けた取り組みを進めています。2018年は、バリアのない社会に向けた実践を評価する国際的プログラム「ゼロプロジェクト」において、ミライロが開発したバリアフリー地図アプリ「Bmaps(ビーマップ)」が革新的事例部門で表彰されました。こうしたプログラムに参加することも、ミライロの国際認知度を上げる活動のひとつです。また、JICAのプログラムで南アフリカから留学している車いす使用者の起業家を海外インターンとして受け入れるなど、JICAとも関わりながら、少しずつグローバル展開に向けて動き始めています。
障害のある人たちにミライロの事業の話をすると、「社会を変えてもらいたい」「自分の国にもこういう会社が欲しい」など、熱い期待が寄せられます。またミライロが運営している講演や研修、ユニバーサルマナー検定を受けた人たちからも、「障害に対する見方が変わった」「街で困っている人を見かけたら、今度こそ声をかけられる気がする」というポジティブな反応も多い。そうやって少しずつ人びとの意識が変わり、社会が少しずつよくなっていく。今はそういう事業に関わっていることにやりがいを感じています。
上智大学には、やりたいことや関心を持っていることを話すと、「それいいね」「頑張ってね」と応援してくれる先生や友達がいました。私が国や民族の違いや障害の有無にかかわらず、いろいろな人と仕事を楽しめるのは、上智大学に通ったからでしょう。自分らしくいられる場所であり、それを互いに尊重し合って高め合える場所。学生時代にそんな多様性を認め合う環境に身を置いたことが、自分の原点になっています。
株式会社ミライロ
上智大学公式サイト
提供:上智大学