未来を担う子どもたちがもっと生きやすい社会を現場と政策をつないでつくる

SOPHIA PEOPLE 上智で考える。社会で描く。 vol.11

文/田端 広英 写真/簗田 郁子 デザイン/REGION 企画・制作/AERA dot. AD セクション

「あたたかい家庭」を望む子どもたちのために

 「ハッピーゆりかごプロジェクト」は、高橋さん自身が子育てをするなかで生みの親と暮らせない子どもたちのことに関心を持ったのがきっかけだった。

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 日本には何らかの事情で生みの親と暮らせない子どもが4万5千人ほどおり、その約8割が児童養護施設や乳児院などの施設で暮らしています。施設のスタッフの方々はもちろん熱心に取り組んでいらっしゃいますが、国連のガイドラインでは子どもたちは「永続的な」家庭で育つことが望ましいとされています。「ハッピーゆりかごプロジェクト」は、家庭裁判所の決定を受けて育ての親と子どもが法律上の親子となる特別養子縁組や、子どもを家庭に迎え入れる里親制度を普及させ、そうした子どもたちが「あたたかい家庭」で健やかに育つことができる社会を目指す取り組みです。

 プロジェクトを立ち上げた直接のきっかけは、愛知県の児童相談所(児相)で「赤ちゃん縁組」という取り組みを長く続けてこられた矢満田篤二さんと、2012年11月にお会いしたことです。私自身3人の子育てをするなかで、発達心理学者のエリク・H・エリクソンが唱えた母子間で育まれる「基本的信頼」の重要性について知る機会があり、生みの親と暮らせない子どもたちの問題に関心を持っていました。さらに実際「赤ちゃん縁組」を通して養子縁組に取り組んできた矢満田さんから、具体的なお話や養子縁組した方の話などを聞かせてもらい、「この取り組みをもっと広げたい」と強く思うようになったのです。

 当時、私は国際事業部で途上国の障がい者支援に携わっていましたが、当財団には職員が企画をプレゼンし、採用されたらプロジェクトが実現できる制度がありました。そこで早速企画を立てて応募したところ運よく採用され、翌13年5月に立ち上げシンポジウムを開催して「ハッピーゆりかごプロジェクト」がスタートしました。それまでも財団では里親制度の助成事業などを行ってきましたが、「ハッピーゆりかごプロジェクト」の特徴は、特別養子縁組や里親制度を日本で普及させていくために、財団がより主体的に政策提言、普及啓発活動や調査研究などを行っている点です。

※厚生労働省「社会的養護の現状について」(2017年)

プロジェクトの充実とともに「子どもの権利」も守りたい!

 今年で7年目を迎える「ハッピーゆりかごプロジェクト」。高橋さんは常に「自分たちに何ができるのか」を問いながら、活動に取り組んできたという。

 プロジェクトが立ち上がると、まず日本財団として具体的に何をすべきかを考えるために、民間の養子縁組団体や赤ちゃんポストを始めた慈恵病院(熊本県)、実際に養子縁組をした方などに話を聞いて状況を把握しました。その上で「社会的養護と特別養子縁組研究会」を立ち上げ、専門家の意見を聞きながら財団としての提言書をまとめていきました。当時の大きな課題としては、英米では「アダプション(養子縁組)」と「フォスターケア(里親制度)」が家庭養育の2本柱とされているのに対して、日本では養子縁組が法的にも制度的にも児童福祉の中に十分には組み入れられていなかったことです。

 そうした課題と解決案を提言書にまとめ、当財団の笹川陽平会長と矢満田さんと一緒に塩崎恭久厚生労働大臣(当時)の元へ行き説明したところ、大臣にも大変前向きに受け止めてもらいました。ちょうど「児童福祉法」改正の検討会が厚労省でも実施されており、16年の「児童福祉法」の改正では、子どもは原則として家庭で養育するという条文が加えられ、養子縁組に関する相談・支援が児童相談所の取り組むべき仕事として法律に書き込まれました。また同年には「養子縁組あっせん法」(民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法律)も成立し、養子縁組のあっせんが許可制になったことであっせん団体の質が担保されるようになりました。


ニューヨークで開催された障害者権利条約の締約国会議に出席

 さらに昨年の民法改正では、特別養子縁組の対象年齢が6歳未満から15歳未満に引き上げられ、また児童相談所長が子どもにとって特別養子縁組が望ましいと判断した場合には家庭裁判所に申し立てできるようになり、養子縁組の委託がすすめやすくなりました(20年4月施行)。このように法律や制度の面では特別養子縁組や里親制度をめぐる状況は進んできましたが、まだまだ世の中には養子縁組を特別視する風潮もあります。これまで年1回「4月4日 養子の日」にイベントを開いて普及啓発活動に取り組んできましたが、今後は全国キャラバンを行うなどしてより広く展開していくつもりです。

 将来に向けた取り組みとしては、子どもの権利をきちんと保障する「子どもの基本法」をつくるために、新たに研究会を立ち上げたところです。日本は1994年に「子どもの権利条約」を批准していますが、国内法が整備されておらず、子どもの権利に関する包括的な法律がありません。「子どもの基本法」で子どもたちの権利を総体的に保障する仕組みをつくり、いつかは子どものSOSを受け止め、子どもの声を代弁して守る「子どもコミッショナー」のような組織も立ち上げたい。自殺や不登校なども含め、現在、子どもたちを取り巻く問題は数え上げたらキリがないほどあります。今、苦しんでいる子どもたちが少しでも生きやすい社会にするために、引き続き取り組んでいきたいと考えています。

当たり前を見直し、世の中を多角的に見ることを学んだ大学時代

 上智大学では文学部史学科で西洋近代史を学んだという高橋さん。大学での学びは、現在の仕事にどのようにつながっているのだろうか。

 子どもの頃から漠然と国際的な仕事にあこがれていたこともあり、上智大学の国際的な雰囲気にひかれて進学しました。と言いながら、文学部史学科を選んだ理由は、自分にとっての「当たり前」を別の尺度から見直すということに興味があったからです。歴史学はそれを違う時代から問い直すわけですが、今振り返ると、海外への関心はそれを別の地域から問い直すという点で共通しているのだと思います。


趣味で長年続けているハンググライダー。2000年にはギリシャの女子世界選手権に出場した

 学生時代はハンググライダー部の活動に熱中し、毎週末、天気がよければ筑波山のふもとへ飛びに行っていました。大学3年生のときには1年間休学し、バイトをしながらハンググライダー漬けの生活をしていたほど。その1年間でハンググライダーにひと区切りをつけ、卒業後はニューヨーク州立大学大学院の修士課程で環境政策と国際関係論を学びました。留学経験がなかったので英語ではとても苦労しましたが、日本とは異なる価値観や考え方に触れたことは、日本財団の国際事業部で働くようになって非常に役立ったと思います。

 修士課程修了の年にちょうど日本財団がアメリカでの採用を始めたので、それに応募し、入職しました。以来、長く国際事業部で仕事をしてきたわけですが、日本財団での仕事の魅力は、それぞれの分野で一流の方々と一緒に仕事をつくっていけることです。また、当財団の笹川会長も常々「日本財団がハブとなって、ソーシャルイノベーションを起こしていく」と話していますが、私自身、現場の思いと国の政策をつなげる、大きな責任ある仕事にやりがいを感じています。

 世の中の課題をみつけて、それをどうやったら解決できるかを考え、できることに取り組んでいく。こうした現在の仕事にも共通する姿勢は、ビセンテ・ボネット先生のゼミで学んだことのひとつかもしれません。ボネット先生はリベラルな方で、特に記憶に残っている先生です。ゼミにはNGOピースウィンズ・ジャパンを立ち上げた大西健丞さんなど、社会問題や途上国支援などに関心を持っている学生が集まっていました。そうしたゼミの仲間と国内外の貧困の現場に行って現状を見て、その解決のために何ができるかを語り合うなかで、社会に向き合う姿勢などとても刺激を受けたことを覚えています。私にとって上智大学は、世の中を多角的に見ることを学んだ場です。大学生活には、そうしたいろいろな人たちに出会える面白さもあるのではないでしょうか。

提供:上智大学