「ヒッピー文化とマンドリン」上智大学での出会いが人生を大きく変えた

SOPHIA PEOPLE 上智で考える。社会で描く。 vol.15

文/田端広英 写真/簗田郁子 デザイン/REGION 企画・制作/AERA dot. AD セクション

先生との交流や課外活動を楽しんだ、5年間の大学生活。

華やかなキャンパスライフに憧れて上智大学外国語学部英語学科に進学した梶原さん。起業のことは考えたこともなかったが、人生を変える出来事があったという。

 僕にとって上智大学は、「人生を変えてくれた場所」です。大学での出会いと経験があったからこそ、ベンチャーを立ち上げられたような面もあります。もっとも、入学前にそんな考えがあったわけではありません。「とにかく東京へ行きたい」という思いだけの受験だったのです。兵庫県淡路島育ちの僕は、高校時代に流行っていた『冬物語』や『ツルモク独身寮』といった青春マンガを読んで東京のキャンパスライフに憧れ、関西圏の大学進学を希望していた親を説得して、「偏差値の高い大学なら許す」という条件で東京の大学を何校か受験しました。上智大学外国語学部英語学科は、そのなかの一つ。幸い受験した大学は全部合格しましたが、上智大学を選んだ理由は、英語学科なら就職の時にアピールできる語学力が身につけられそうなこと、そして何より上智大学の華やかさに惹かれたからです。


上:上智大学ソフィアマンドリーノのメンバーと恩師・久保田孝先生との記念写真。中央・久保田先生の右側が本人 下:物事の考え方において影響を受けた「デニー」ことポール・デニス・ペティート先生

 そんな僕の入学時の目標は「4年間、キャンパスライフを満喫しよう!」というもの。単位が取りやすい授業をできるだけ多く履修して、任意だったゼミと卒論も取りませんでした。ただ、大学は好きだったから、毎日キャンパスには行きました。先生方からは強い影響を受けましたね。たとえばドナル・ドイル先生。神父でもあるドイル先生は、とにかく立派で人間的に尊敬できる方でした。もうひとりが「デニー」の愛称で慕われていたポール・デニス・ペティート先生です。ヒッピー文化の発祥でもあるカリフォルニア生まれだからか、デニー先生は自由奔放な方で、研究室には「デニーズ・バー」という看板をかかげられていました。夜になると先生や学生、卒業生が「デニーズ・バー」に集まって、いろいろな立場や国籍の人が垣根なく、好き勝手なことを語り合っていたのです。そんなフラットなコミュニティーは居心地がよくて、僕もしょっちゅう潜り込んでいました。

 さらに、満喫するはずのキャンパスライフの多くを、課外活動団体のマンドリン・クラブ(上智大学ソフィアマンドリーノ)の活動に費やしました。高校時代にマンドリン部で指揮者をやっていたので、一応見学しておこうと足を運んだところ、マンドリン界の巨匠・久保田孝先生が顧問だと知ってすぐに入部したのです。久保田先生は高名な指揮者にして作曲家。僕は久保田先生の曲が大好きで高校時代にもよく演奏していました。だから、「この先生がいるなら!」と即決でした。久保田先生のもとでオーケストラの指揮を学んだ経験は、卒業後もすごく生きているのですが、学生時代はそんなこととはつゆ知らず、「4年間きっちりマンドリンをやりきろう」と決意した結果、就職活動の時期もずっと没頭していたため、卒業までに5年かかってしまいました。

Appleでの12年間で培った、「ゼロベースで思考する力」

大学卒業後に入社したAppleに12年間勤務するなかで、梶原さんはたくさんのことを学んだという。その社風には、大学時代の恩師からの教えに共通するものがあったようだ。

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 当時アルバイトをしていた上智大学の「アメリカ・カナダ研究所」がMac環境だったため、僕自身もMacユーザーでした。大学を卒業した1999年は、まだほとんどの企業が紙の応募書類の提出を義務づけていましたが、そんななかでAppleはインターネットで応募できる稀少な企業でした。採用試験にSPI(Synthetic Personality Inventory:総合適性検査)がないことも応募した理由の一つです。結果として創業者のスティーブ・ジョブズが復帰して再び輝きだした時期のAppleに就職できたことは、本当に幸運でした。12年間勤めたAppleも僕にとっては「人生を変えてくれた場所」。本当にたくさんのことを学びましたが、一つだけ挙げるとしたら「ゼロベースで思考すること」です。たとえば入社直後に発売された「iMac」のマーケティングもその一つ。
 
 ポップなカラーバリエーションのディスプレイ一体型デスクトップパソコン「iMac」は、発売前からとても話題になりました。普通の企業なら数千店舗ある家電量販店さんの全店舗で大々的に売り出すところですが、Appleは違った。逆に、購入できる販売店を絞ったのです。まったく新しいコンセプトの製品だったので、そのコンセプトをきちんと理解し顧客に伝えられる展示や店員が必要だと考えました。本当にいい製品ならお客さまは必ず足を運んでくれるはずと、そういった準備をしていただけるお店での取り扱いのみとし、取扱店の数は当初とても限られる形となりました。Appleでは一事が万事こんな調子で、みんなが常識だと思っていることを疑い、自分たちがやるべきことを実行する風土がありました。これはデニー先生の考え方にもよく似ています。デニー先生の授業でも「終電は必要か?」とか「タバコやお酒よりも中毒性が低いマリファナはなぜ違法なのか?」といった、いままで常識として疑ったことすらなかったことへ問いを立て考えるといったものがありました。Appleはもともとヒッピー文化が色濃いアメリカ西海岸生まれの企業ですから、デニー先生の発想と似ていて、僕自身も居心地がよかったのかもしれません。

3年間のブランクを経て、残ったものが「まごチャンネル」だった。

2011年の東日本大震災、そしてApple創業者スティーブ・ジョブズの逝去をきっかけに、梶原さんは新しいことに挑戦しようと退職を決意。計画は何もなく、ゼロからのスタートだった。

 Appleを退社してからの3年間、僕は友人の会社を手伝いながら、ブログを書いたり、アメリカの経営書を翻訳したり、お世話になった人や同級生に会うために世界中に足を運んだりしていました。僕が好きな作家さんの、こんな言葉があります。自分がやりたいことを見つけるためには、「やらずに後悔したことは全部やる。面白そうと思ったことがあったら全部飛びつけ」。これは、自分のコンフォートゾーンを飛び出して未知の体験をしなければ、自分が本当にやりたいことは見つからないという意味です。3年間のブランクは、そのために必要な時間でした。
 
 退社当初は漠然と「クールでイノベーティブな事業をやろう!」なんて考えていましたが、3年経って気負いがなくなった結果、ほとんどのアイデアは自分に向いていないと捨てて、それでもやりたいと残ったものがありました。それが「まごチャンネル」です。僕は実家が遠いので、結婚して子どもが生まれてから「このさき何回、親に孫の顔を見せてやれるかな?」と考えるようになり、タブレットを渡して孫の写真や動画を送って近況を知らせていたのですが、自分のようには使いこなしてもらえず大変でした。ある日テレビにパソコンをつないで孫の動画を見せると、臨場感もあいまって「そこにいるみたい!」とすごく喜ぶわけです。思い返せば学生時代、指揮者の恩師・久保田先生から「梶原くん、親孝行って何か知っていますか?」と質問されました。先生の答えは「何かをしてあげるのが親孝行ではない。親が願っているのは子どもの幸せだから、自分が幸せに生きていることを伝えるのが親孝行だ」。そして僕の親世代が使いづらいタブレットではなく、もっと身近なテレビで近況を知らせるツールとして開発したのが「まごチャンネル」です。

 

写真や動画をスマホアプリから実家のテレビに簡単に共有できる「まごチャンネル」。通信機能を内蔵したまごチャンネル受信ボックスをテレビにつなげば、Wi-Fiいらずですぐ使える

 会社名の「チカク」には、「近く」と「知覚」という2つの意味を込めています。一般家庭のテレビ画面のサイズは昔に比べ大きく画質もいいので、実際に使ったユーザーの方からは、「まるで目の前に本物の孫がいるように見える」とうれしい感想が寄せられています。最近は新型コロナウイルス感染症の流行で、近くに住んでいても孫に会いにくい状況が生まれているので、お問い合わせや注文が増え続けています。今後は「まごチャンネル」のユーザーを増やすだけでなく、その価値も高めていきたい。今年1月に発売した「まごチャンネル with SECOM」は、その第一歩。警備会社のセコムと協働で開発して本体機器にセンサーを搭載した、高齢者の単身世帯向けの見守りサービスです。離れていても隣に住んでいるように家族を“チカク”できる「デジタル時代の二世帯住宅」のような感覚。いずれはこうした双方向のコミュニケーションが距離や時間を超えてできるようにしていきたいと考えています。
 
 淡路島にいた高校生の頃、僕は現在のような将来をまったく想像していませんでした。指揮者の経験も思いも寄らぬところで、今の仕事に生きています。久保田先生曰く、「指揮者は王様」。オーケストラの団員の誰よりも音楽に詳しくなければダメだし、メンバーより10倍大事な役割を担う。ベンチャー企業の経営者も、よく似ています。会社のすべての部門について、メンバーと同等かそれ以上にわかっているぐらいの気概が必要です。また指揮者時代は、曲のどこでどんな表現をしたら聴衆の心をつかめるのか、24時間365日考えていました。ビジネスでも同じ。一般ユーザーの心を捉えるための戦略と仕掛けの工夫が欠かせません。受験動機こそいい加減なものでしたが、あのとき東京に憧れて、上智大学を受験していなかったら、僕の人生はまったく違ったものになっていたでしょう。だから僕にとっての上智大学は「人生を変えてくれた“最高の場所”」なんです。

※「Apple」「iPod」「Mac」「iMac」は、米国および他の国々で登録されたApple Inc.の商標です

提供:上智大学