文/田端 広英 写真/簗田 郁子 デザイン/REGION 企画・制作/AERA dot. AD セクション
五輪名物のひとつ「聖火リレー」を企画・推進する渡邉さん。取材は東京大会の聖火リレーまで1年を切ったタイミングで行われた。
6月10日の記者会見で聖火リレーの戦略などについて語る渡邉さん
聖火リレーのプロジェクトは、大きく三つのチームで取り組んでいます。ひとつは、聖火ランナーを公募し、それぞれのランナーに区間を割り当てるチーム。次に、沿道でどのようにコカ・コーラ社としてプレゼンスを発揮していくか、どのようにして自社製品を消費者へ届けるかを考え運営するチーム。もう1チームは、セレブレーション会場(その日の最終聖火リレーのゴール地点)においてコカ・コーラ社の魅力を訴求するイベントを企画するチームです。
聖火リレーが終わるまでの間、当社はさまざまな工夫を凝らしています。2019年6月17日から聖火ランナーの募集キャンペーンを始めましたが、実際に走ることができるのは全体で約1万人だけ。そこで当社は、聖火ランナーを体験できるイベントを全国47都道府県で開催し、トーチとトーチを重ねて聖火をつなげる「トーチキス」を疑似体験できるデジタルコンテンツなどを用意しました。
また実際の聖火リレー期間中には、当社も専属のチームを組み、121日間ずっと帯同します。聖火リレーを通じて当社のファンを増やすことも目的のひとつですが、最大のミッションは皆さんに「Wow!」な体験をしてもらうこと。「やっぱりコカ・コーラってすごいな」と思っていただけたらうれしいですね。
父親の仕事で幼い頃から日米を行き来していた渡邉さんは、アメリカの高校を卒業後、上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)に進学した。「日本人という意識が希薄」だったにもかかわらず、なぜ日本の大学、そして上智大学を選んだのか。
高校を卒業した時点では、脳内の90%がアメリカ人、10%が日本人という感じでした。現地の学校に通っていたため、そのままアメリカの大学へ進むという選択肢もありましたが、進路を考えるなかで「自分のアイデンティティーは日本にあるのでは」と考えるようになりました。さらに、英語を使って現地で働くのではなく、英語ができる日本人として日本で勝負したほうが勝てるんじゃないかな、と。
ラクロス部時代、チームメイトとプリンストン大学に遠征をした際の1枚。右端が渡邉さん
また、アメリカ人が日本のことをほとんど知らないことが、少し悔しかったんです。冗談ではなく、「お前のお父さん、忍者なの?」と聞かれることもあるくらい、日本はステレオタイプで判断されていました。そのような経験から、日本の良さや日本文化を伝えたいと考えるようになり、上智大学への進学を思いついたのです。
実は、中学の2年間を日本で過ごしたのですが、そのときの家庭教師が上智大生でした。ことあるたびに「上智はおもしろい大学だ」と聞かされていたので、何となく頭の片隅に残っていたんです。調べたら、比較文化学部は全授業が英語で行われ、日本文化についても勉強できる。4年間あればいい“リハビリ期間”になるし、私が日本にアジャストするためにも最適な学部じゃないかと思いました。
入学後は、ラクロス部に入部しました。日本ならではの“タテ社会”を学ぶには体育会がいいと考えたのです。先輩方の厳しい指導のおかげで、私は順調に日本人化していきました。もちろん勉強もしましたよ。授業は英語でしたが、日本語の四字熟語や慣用句をひたすら勉強する一般教養の授業もありました。死に物狂いで勉強したおかげで、日本人の友だちも使わないような言葉が、口をついて出てくるようになったんです。さらに比較文化学部は「人種のるつぼ」だったので、国籍を問わず友だちが増え、いろいろな文化を学ぶことができました。刺激たっぷりの4年間だったと思います。
大学卒業後は広告会社に入社。その後は、スポーツマーケティングの分野でキャリアを重ねた。
大学進学を機に日本へ帰って以来、私は「日本の良さを発信することが自分のミッションだ」と考えていました。たとえば、私が日本人として一番誇りに思うのは、日本人の生真面目さと緻密さ。就職活動の際もそのミッションを念頭にいろいろな企業を回り、最終的にクライアントの広報活動を通して日本文化を世界に発信できる広告会社に入社しました。
実は、同じころにロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手が日本人アスリートとして初めて「TIME」誌の表紙に登場し、さらにノーヒットノーランをなしとげました。それに刺激を受け、面接でも「スポーツに関わりながら世界に日本を発信したい」と話したところ、新卒ながらサッカー大会の冠スポンサーの担当に配属してもらえたのです。スポーツに関わるようになったのは、これがきっかけです。
その後、日本でのサッカー・ワールドカップ開催のタイミングでFIFAに転職。国際的なスポーツイベントを経験したのち、再び広告会社へ戻り、日本コカ・コーラと出合って今に至ります。ワールドカップ、五輪というビッグイベントに、スポンサー企業、主催団体、広告会社という三つの立場で関わることができているのは、本当に幸せなキャリアだと思っています。
スポーツマーケティングに不可欠なのは「分析力」だと渡邉さんは言う。日米で過ごした子ども時代、そして日本人としてのアイデンティティーを確立した大学時代を通じて、彼はその「分析力」を身につけた。
筋書きのないドラマであるスポーツの試合内容、看板やチケットといった権利、そして私たちが売りたい製品たち。それぞれの特性を掛け合わせ、自社製品のファンを増やす方法を考えるのが、スポーツマーケティングであり、私の仕事です。スポーツを盛り上げるだけでなく、スポーツを通じて消費者の共感を呼び、自社製品を手に取ってもらうことが目的。スポンサーシップがゴールではなく、その結果として「何人のお客様に製品を届けることができたのか」が重要です。
この仕事の醍醐味は、どのようなアプローチをすれば消費者の方々の共感を得られるかを分析し、考え、実際にその通りになったときです。私の想定とバッチリ合っていたときが、一番の達成感を味わえます。マーケティング職を目指す学生にアドバイスするとしたら、目の前の人が何をどう考えているのか、分析する癖をつけることでしょう。私も日々、心がけています。
振り返って自分はどうかと自己分析をすると、日米で転校をくり返すなかで、私はいつも転校先の社会にフィットする方法を考えていました。自分や他者を分析し続けていたのです。アイデンティティーが確立されて自分のカラーを出せるようになったのは、大学生になってから。当時の上智大学は、多様なバックグラウンドを持つ人たちが集うインターナショナルな雰囲気に包まれていて、私にはとても居心地がよかったのです。そこで得た学びや友人、先輩方が、今の私をつくり上げてくれたと思っています。そういう意味では、上智大学が「日本人」としての私のスターティングポイントなのかもしれませんね。
聖火リレートーチのレプリカを手にする渡邉さん
提供:上智大学