毎年元日に開催される「全日本実業団対抗駅伝競走大会」(以下、ニューイヤー駅伝)は、正月の風物詩として親しまれている。チームの信頼をたすきに託して堅実にリレーしていく駅伝は、JR東日本の企業文化にも合致するスポーツだ。2003年に発足したJR東日本ランニングチームは05年からほぼ毎年、ニューイヤー駅伝に参加してきた。しかしここ数年は成績不振に苦しみ、一昨年は出場権さえ獲得できずにいた。その状態のチームが新たに迎えたのが、大島唯司監督と永井順明ヘッドコーチの二人だ。大島監督は、チームの理念を明確に掲げるところから変革に着手した。
「チームスローガンは『超一流!』です。まずはJR東日本の社員としてお客さまのことを考え、社内で信頼される人間になることが大前提でした。そのうえで、会社の代表としての誇りを持ち、トップを目指す。人間性の成長なくして競技力の向上はありえません」(大島監督)
大島監督は着任直後から、選手の拠点となる八王子支社の各職場を回り、選手にもっと仕事を任せてほしいとお願いした。五ヶ谷宏司キャプテンは、職場でその変化を感じたという。
「以前はランナーだということで大事にされ、重い荷物を持たせてもらえないこともありました(笑)。でも、そういう特別扱いがなくなったのです。今は設備部にいますが、輸送障害時の対策を検討するようなとき、自ら積極的に顔を出すなど自分の仕事に対する意識も変わりました」
事業部に所属する黒川翔矢副キャプテンは、部内向けに「ランニングチーム通信」を配信している。
「内容は合宿の出来事や、チーム内で流行しているテレビ番組など、他愛もないことです。でも、小さな記録会にまで応援に来てくれる職場の同僚に対し、感謝を込めて発信し続けたいと思っています」
選手としての活動と仕事の両立は体力的にもきつい。しかし大島監督は、職場でも戦力として求められることが、選手の精神面にとって重要だと考える。
当然、急激な変化には反発もあった。新体制で迎えた昨年のニューイヤー駅伝、成績は37チーム中32位と低迷する。
「ケガなどの原因もありましたが、成績にはチーム内のよくない雰囲気が影響していました。僕自身も、調子が悪いのを環境が変わったせいにしていた。キャプテンとしての不甲斐なさを痛感すると同時に、32位という不本意な順位に、かえって吹っ切れもしたんです。新年度が始まる前に、絶対にチームを変えようと決心しました」(五ヶ谷さん)
「私も副キャプテンとして、不満は封印し、あいさつをしっかりしたり、練習の集団走では率先して前に出たりするなど、基本的なことではありますが、行動で示すように心がけました」(黒川さん)
大島監督が示す方向性のもと、具体的な強化メニューを作成するのは永井ヘッドコーチだ。普段のコミュニケーションを重視する永井さんは、週に2、3日は寮に泊まり込み、選手と寝食を共にする。
「昨年の大会後、4月くらいに五ヶ谷と黒川、二人が吹っ切れたなと感じました。そこからチーム全体の雰囲気がガラッと変わりましたね。課題はまだたくさんありますが、今は選手もスタッフも、各々のやるべきことがわかっています」(永井ヘッドコーチ)
一度歯車がかみ合うと、調子はどんどん上がっていった。
8月中旬、大島監督は五ヶ谷さんから、チームが「過去最高の状態」にあるとの報告を受ける。
「そばで見ていてそれはわかっていたので、過去最高位である12位を上回る11位を目標にしていました」(大島監督)
そして、満を持して迎えたニューイヤー駅伝では4位入賞という快挙。この結果に多くの社員が感銘を受け、惜しみない拍手を送った。
「チームが発足して今年で18年目。今までは選手も周囲も、社内での立ち位置に戸惑う思春期のようなものだったと思います。ようやくそれを越え、このチームはこれから成熟していきます。もっと強くなるでしょう」(同)
チームを支えるのは社員だけではない。練習場のある西国分寺では、地元有志の応援団が結成されるなど、彼らの走りを通じて地域との絆は深まっている。大島監督を中心に、小中学生を対象にしたジョギング教室開催も増やしていく予定だ。そして「23年にニューイヤー駅伝優勝」「28年に国際大会でトップ選手誕生」という、二つの高い目標に向かう。
五ヶ谷さんは3月末での現役引退を発表した。今後は子どものためのランニングスクールを作り、次世代の育成に貢献するという。
「個人でのマラソン優勝経験もあるのに、現役時代を振り返ると、一番うれしかったのが今年の駅伝4位なんです。JR東日本の一員として、会社や地元の方々に応援してもらえることが、どれほど選手の励みになるか。次のキャプテンは黒川の予定ですが、彼自身も国際大会の日本代表選手を狙っているでしょう。競争心も忘れず、メンバー全員で目標を共有していってくれると思います」
人々の思いを託したJR東日本のたすきが、つながれていく。